厳島神社の歴史は古く、現在までの通説によればおよそ古墳時代〜飛鳥時代の創建と考えられています。
以来、厳島神社の名前が日本中に広まったのは平安時代のこと。当時、権勢を誇った平家の総大将・平清盛がパトロンになったことで一気に名前が広まります。
以下では、このあまり知られていない厳島神社の歴史について解説していきたいと思います。
宮島・厳島神社の歴史(簡単な年表)
年 | 歴史 |
---|---|
593年(推古元年) | 現在の広島県・宮島の地域を収めていた豪族・佐伯鞍職(さえき の くらもと)が、水の神とされる「市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)」の神勅を受け、現在の「御笠浜(みかさのはま)」に社殿を建立したのが創建と伝わる。 |
806年(大同元年) | 大師・空海が唐より帰国した後、厳島神社へ立ち寄り弥山を開山する |
811年(弘仁2年) | 有史上、はじめてとなる日本後記に「伊都岐島名神」の名前が登場する。 伊都岐島神(厳島神社の神)が朝廷(天皇)からの奉幣(お供え物)を受ける社格に認められる |
867年(貞観9年) | 伊都岐島神社の社格が正5位下から→従4位下に昇格す。 |
927年(延長5年) | 延喜式神名帳に「伊都岐島神社名神」の記述を授かる |
940年(天慶3年)2月 | 朝廷、当社(当時は「伊都岐島神社」)の社格を正4位に昇格させ、藤原純友の乱平定の祈願が寄せられる。 |
1146年(久安2年) | 平清盛が安芸守(あきのかみ)に任ぜられる |
1160年(永歴元年)8月5日 | 平清盛、当社へ初めて参拝す。 |
1164年(長寛2年)9月 | 厳島神社宝物館所蔵の現・国宝「平家納経」が完成する。 清盛自ら9月に当社へ奉納す。 |
1166年(仁安元年) | 平清盛、当社に山県郡志道原荘を寄進す。 |
1167年(仁安2年) | 平清盛が太政大臣に任ぜられる |
1168年(仁安3年) | 平清盛が現在の姿である寝殿造りにて改築・造営す。 |
1169年(慶応2年) | 厳島神社宝物館所蔵の国宝「紺紙金字法華経」が完成す。 |
1173年(承安3年) | 後白河法皇が宝刀を奉納す。 |
1174年(承安4年) | 後白河法皇が平清盛、建春門院を引き連れて厳島神社へ下向し参拝される。 |
1179年(治承3年) | 平清盛により厳島神社の社格を「二十二社」の社格へ上げる意見が出る(結果的にならず) |
1180年(治承4年) | 高倉上皇が平清盛、建礼門院などと共に厳島神社へ下向し参拝される |
1207年(承元元年) | 7月3日に厳島神社が火災に見舞われ社殿焼失す。 8月21日に朝廷、安芸国を厳島社の再建費用の調達所に充てて再建開始。 |
1215年(建保3年) | 安芸国からの年貢を得て社殿が再建される。遷宮が斎行される。 |
1221年(承久3年) | 周防前司・藤原親実(安芸国守護)が当社神主に就任す。 |
1223年(貞応2年) | 12月2日、再び厳島神社の社殿が火災に見舞われ社殿焼失 |
1224年(元仁元年)9月13日 | 当社、朝廷より安芸国を賜る。 |
1235年(喜禎元年) | 社殿が再建される。外宮が完成す。 |
1236年(嘉禎2年)10月13日 | 社殿が再建される。本宮が完成す。 地御前(外宮)の遷宮が執り行われる。 |
1240年(仁治元年)11月2日 | 鎌倉幕府第4代目征夷大将軍「藤原頼経」が太刀を奉納する |
1241年(仁治2年) | 遷宮が執り行われる。 |
1278年(弘安元年) | 一遍上人が厳島神社へ参拝に訪れる |
1286年(弘安9年) | 大鳥居が再建される |
1325年(正中2年) | 大鳥居が大風により倒壊する |
1366年(正平21年・貞治5年)3月 | 筑前博多の商人たちが、当社に鋳銅製釣燈篭を奉納す。 |
1371年(応安4年)4月 | 大鳥居が再建される。 用材は広島市佐伯区利松、廿日市市宮内などから調達する。 |
1389年(康応元年) | 足利義満が参拝に訪れる |
1407年(応永14年) | 重要文化財である「五重塔」が創建される |
1537年(天文6年)12月 | 境内、西廻廊、大国社が焼失す。 |
1540年(天文9年) | 大内義隆が配下の陶晴賢と共に参拝に訪れる。燈籠を奉納す。 |
1541年(天文10年) | 海賊が厳島神社へ襲来し大内義隆の軍勢が退ける |
1555年(弘治2年) | 厳島の戦いで毛利元就が陶晴賢に勝利する。 中国地方の雄・毛利元就が厳島神社を改築・修復す。 |
1556年(弘治3年) | 4月に毛利元就の嫡子「毛利隆元」が天神社(重要文化財)を建立。 6月には毛利元就が回廊を修繕す。 |
1561年(永禄12年) | 毛利元就・隆元の親子が大鳥居を造営し寄進する |
1571年(元亀2年) | 吉田兼右らが、元亀の遷宮と称して遷宮を執り行う。厳島神社の本殿、造営される。 |
1582年(天正10年) | 毛利輝元、30石を当社へ寄進す。 |
1587年(天正15年) | 千畳閣(重要文化財)が創建される |
1592年(天正15年) | 太閤 関白秀吉が厳島神社へ参拝す。 |
1598年(慶長3年) | 関白秀吉の懐刀石田三成が厳島神社へ参拝する |
1605年(慶長10年) | 福島正則が能舞台を寄進、造営す。 |
1680年(延宝8年) | 4代目藩主・浅野網長により能舞台(重要文化財)が造営される |
1716年(享保元年) | 大鳥居が倒壊する |
1776年(安永5年) | 大鳥居が雷により炎上する。 |
1802年(享和元年) | 浅野斉賢が大鳥居を再建する |
1850年(嘉永3年) | 大風により大鳥居が倒壊する。扁額は阿多田島(あたたじま/大竹市)に漂着する。 |
1871年(明治8年) | 厳島神社の社格が国幣中社へ昇格する |
1874年(明治7年)2月3日 | 本殿の屋根の修理が開始される。このときの修理より本殿屋根上に千木・鰹木が据えられる。 |
1875年(明治8年) | 大鳥居が再建される。 |
1880年(明治13年) | 廃止されていた延年祭が毎年執り行われるようになる。 |
1881年(明治14年)4月15日 | 厳島神社本殿の大修理が終了す。1572年(元亀2年/戦国時代)以来の正遷宮が斎行される。 |
1891年(明治24年)4月6日 | 大風と雷雨により、厳島神社境内社殿群、30カ所にも及ぶ損傷が見つかる。 |
1892年(明治25年)4月6日 | 御鎮座1300年記念祭が斎行される。 |
1899年(明治32年) | 文化人・岡倉天心(おかくらてんしん)が来島し、厳島神社や大願寺、光明院を調査す。 |
1901年(明治34年)1月28日 | 「明治の大修理」と銘打って、本社本殿、幣殿、拝殿、祓殿の大規模解体修理が開始される。 同時に明治7年に御本殿屋根上に据えられた千木・鰹木が撤去され、従来の姿に戻される。 工事が終了したのが1916年(大正5年)。 |
1905年(明治38年) | 御笠浜に石鳥居が建立される |
1911年(明治44年) | 厳島神社の社格が、今度は官幣中社へ昇格す。 |
1913年(大正2年) | 明治天皇が太刀を奉納される |
1923年(大正12年) | 3月7日、史蹟名勝天然記念物保存法の成立により、厳島神社を含めた宮島全体が史蹟名勝の指定を受ける。 |
1945年(昭和20年) | 9月17日、枕崎台風により弥山・紅葉谷より土石流が発生す。 厳島神社社殿群に甚大な被害を及ぼす。 |
1949年(昭和23年) | 厳島神社1350年祭が催される |
1948年(昭和24年) | 上述、1945年の枕崎台風の被害により、「昭和の大改修」と銘打って大規模な復旧工事が執り行われる。 |
1951年(昭和26年) | 5月、大鳥居の修理のために佐賀・福岡産の楠が調達される。同時に根継ぎ工事が執り行われる。 10月14日ルース台風の襲来により、境内社殿群および境外の末社・七浦神社が損壊に及ぶ。 |
1952年(昭和27年) | 3月、清盛祭が開始される。 11月、厳島神社を含めた宮島全体が特別史跡および特別名勝「厳島」に指定される。 |
1954年(昭和29年) | 平清盛公を祀るために摂社・清盛神社が西の松原に創建される。 |
1957年(昭和32年) | 厳島神社の社殿の大修繕が執り行われる |
1965年(昭和40年) | 厳島神社宝物蔵が完成す。 |
1992年(平成4年)3月31日 | 境内、平舞台の左楽房が再建される。 |
1994年(平成6年) | 3月31日、能舞台が再建される。 10月2日・3日、御鎮座1400年記念祭が斎行される。 |
1995年(平成7年)10月2日 | 厳島神社、創建御鎮座1400年祭を斎行す。 |
1996年(平成8年)12月8日 | 嚴島神社、世界遺産(世界文化遺産)の登録指定を受ける |
1999年(平成11年)9月24日 | 台風18号襲来 嚴島神社被災す。 |
1999年(平成11年)10月7日 | 厳島神社を含めた日本三景碑建立す。 |
2001年(平成13年) | 台風18号の被害により、左楽房が損壊す。 |
2004年(平成16年)3月24日 | 芸予地震の影響により、境内の石灯籠・玉垣などが倒壊す。 |
2007年(平成19年) | 4月、大鳥居の扁額の修理が終わる。 3月、厳島神社がミシュランの3つ星を獲得! |
2019年(平成31年)1月20日 | 東廻廊修復工事開始 |
2019年(平成31年)2月1日 | 祈祷控室である貴賓室の修復工事開始 |
2019年(令和元年)6月 | 大鳥居の部分修理(大鳥居全体の足場)が開始される。 工事内容:足元樹脂直し、塗装、木部補修、屋根葺き替え、調査開始す。 |
宮島・厳島神社の歴史・由緒
厳島神社の創建
厳島神社は日本に約500社あると推定される神社であり、その本総(本宮)がこの宮島厳島神社となります。
安芸の宮島の観光名所ともなっているこの厳島神社は、その美しく特徴的な景観で1996年(平成8年)12月8日に世界遺産にも認定されています。
有史上に見える創建年代は古く、593年(推古天皇元年/飛鳥時代)まで遡ります。
社殿はご存知のとおり、安芸の豪族であり厳島神社の初代神主でもある「佐伯鞍職(さえきくらもと)」が593年(推古天皇元年)に「市杵嶋姫命(いちきしまひめ)」の神託を受け創建しています。
それから星霜経た約600年後の1168年(仁安3年)に平清盛の発願によって大改造が実施され、これが現在みることのできる社殿群の原型となっています。
なお、「佐伯鞍職」とは安芸の豪族であり、後に厳島神社の初代神主となる人物です。
市杵嶋姫命(いちきしまひめ)って誰?
須佐之男命(スサノオノミコト)の持つ剣(十拳剣)からは、神が生まれ出でたという伝承があります。スサノオの剣からは「五男三女神」の神が生まれ出ており、「市杵嶋姫命(いちきしまひめ)」は、その神の中の1柱とされています。
尚、この神様には「田心姫命(たきりひめ)」「湍津姫命(たぎつひめ)」と言う姉妹神がおり、これらの3柱の神様を総称して「宗像三女神(むなかたさんじょしん)」と呼称されます。
厳島神社の創建時の祭神は「市杵嶋姫命」と似て非なる「伊都岐島神」が奉祀されていた❓
厳島神社の御祭神は当初は「伊都岐島神(いつきしまのかみ)」と呼称される「厳島(宮島)自体にお宿りする神」のみを祀っていましたが、「市杵嶋姫命(いちきしまひめ)」と名前や読みが似ていることから、序々に同一の神として習合されてゆき、一時期は「市杵嶋姫命」1座のみがお祀りされていました。
その後、時代を経る中で「市杵嶋姫命」が属する現在の「宗像三女神(むなかたさんじょじん)」が主祭神として創祀されるに至っています。
つまり、当初は相殿神はなく「伊都岐島神」や「市杵嶋姫命」1座のみをお祀りしていたことになり、本殿の規模も現在ほど大きいものではなく、もう少し小ぢんまりとた造りの社殿であったことが推測されます。
平安時代
平安時代の初頭、厳島神社は朝廷からの使者が下向するような由緒正しき社格をもった崇高な神社として崇敬が寄せられており、これらの証拠は当時の風情を示す「延喜式(えんぎしき)」や「日本後記(にほんこうき)」と言った古文書でも確認することができます。
厳島神社の名前が本格的に全国区になったのは、平清盛が初めて厳島神社へ詣でた1160年(永暦元年)以降であると言えます。
以来、厳島神社は平清盛(平氏)の出世と共に名前が広まって行くことになります。
平清盛は1146年(平安2年)に安芸守に任ぜられ、後、1168年に武家出身では初となる大政大臣までになった人物であり、徳川幕府に例えられる武家が台頭する時代をはじめて築いた人物でもあります。
現在に至るまでの厳島神社の社殿のほとんどは清盛を筆頭とした平家一門の寄進によって、修造や造営が繰り返されてきた歴史があります。
その中でも、もっとも大きな造営・修造となったのは清盛が「太政大臣」になってからの平安時代末期である1168年(仁安3年)です。
清盛はそれまでの武家では前代未聞と言われた「太政大臣」にまで大出世を果たします。
この時の清盛は、天地が引き裂けるほど大喜びしたそうで、同時に厳島神社の御祭神に心から感謝し、現代にまで伝わる国宝「平家納経(へいけのうきょう)」を収めると共に、社殿の大造営を行い「回廊」を備えた朱色が美しく輝く「寝殿造り」の社殿へ造り替えています。
その後、厳島神社は清盛の出世と共に平家一門の信仰を背景として、社運は盛大を極めます。
鎌倉時代
鎌倉時代になると、「厳島詣」という言葉が広まりはじめます。もともと厳島詣は清盛が生み出した風習のようなものであり、清盛の影響下において歴代の天皇までもが厳島神社へ参拝したことからこのような言葉が誕生するキッカケになっています。
この様相は鎌倉時代に入っても廃ることはなく、この当時、瀬戸内海を往来する商船で貿易を生業とする者や、漁船で漁をする漁師たちが信仰する「えびす信仰」とも結びつき、いっそう篤く信仰を受けていたようです。
室町時代
室町時代に入ると室町幕府を創始した「足利尊氏」やその孫である「足利義満」なども参詣に訪れたりするなど、権力者からも多大な崇敬を受け、いっそう名前が知れ渡ることになります。
えぇっ?!現在の社殿は戦国時代に造られたものだった?!
ただし、残念ながら現在見ることのできる社殿は、清盛が造営した頃の社殿ではなく、正式には本殿が1571年(元亀2年/室町時代後期)、その他の社殿群が1236年(嘉禎2年)に再建された時の姿でものであると伝えられています。
尚、軽度な補修や修繕は現代に至るまで繰り返し行われており、大規模な造営や修造はないと言った解釈になります。
記録では、厳島神社は鎌倉期に2度、火災にあって社殿群が焼失しており、焼失の都度、再建が繰り返されてきたとの記述が残っています。
平氏の栄華と共に発展と遂げてきた厳島神社ですが、平氏が源氏に滅ぼされた後も源氏からの崇拝を受けていますが、かつてほどの崇敬はなくなり、次第に衰退していくことになります。
戦国時代になると毛利元就がパトロンになり太閤秀吉も一目おく存在に!
1555年(戦国時代)、中国地方の覇者「毛利元就」が「厳島の戦い」で「陶晴賢(すえはるかた)」に勝利したことで、厳島神社に新たなスポンサーが現れることとなります。
そのスポンサーとはすでにご察しのとおり、戦国時代この厳島神社も含めた中国地方を支配した覇者・「毛利元就」です。
水軍にも重きを置いた元就は、海上の神を祀る厳島神社に厚い崇敬を寄せ、今度は元就を筆頭とした毛利家の寄進を受けて、次第に厳島神社は元の美しい朱色の姿を取り戻していくことになります。
天下人・太閤秀吉の庇護を受ける!
その後もさらに天下人・太閤秀吉の崇敬を受けることになり、より一層、厳島神社の名前は広まってて行くことになります。
秀吉は毛利家の参謀を務めた安国寺恵瓊などを通じて、厳島神社の存在を熟知しており、九州征伐の折、この厳島神社へ参詣し、直に足を運んでいます。
その際、自らの大願である「九州統一」の達成を祈願するために、大経堂(現在の豊国神社・千畳閣)を安国寺恵瓊に命じて、寄進する形で造営させています。
江戸時代
江戸時代になると上述、厳島詣が伊勢信仰とならぶほど日本全国に伝播し、厳島神社の周りには門前町が形成され、よりいっそう多くの参拝者が訪れるようになります。
お伊勢参りが爆発的に流行した背景も重なり、西国出身でお伊勢参りする人々は厳島神社へも足を運ぶようになります。
明治時代
厳島神社にとって明治時代はある意味、激動の時代だったかもしれません。というのも元来、厳島神社は神社でありながら、仏教式の祭典が本殿ならびに社殿群にて執り行われており、1868年(明治元年)に「神仏分離令」が発令されると、仏教と神道が完全に区別されて扱われることになり、境内からは仏教色が払拭されることになります。
1874年(明治7年)2月、ちょうど本殿の修理と並行する形で本殿の屋根に千木と鰹木が据えられ、一般的見られる神社の本殿としての存続を余儀なくされています。
1871年(明治4年)に近代社格制度に則り、国幣中社に列し、さらに1911年(明治44年)には官幣中社に昇格しています。
1901年(明治34年)1月28日には、「明治の大修理」が開始され、本社本殿、幣殿、拝殿、祓殿の大規模解体修理が開始されることになります。
このときに明治7年に据えられた千木と鰹木が屋根上から取り外され、創建以来の姿に復原されています。
大正時代
1916年(大正5年)に明治の大修理が無事終了しています。
1923年(大正12年)3月7日、史蹟名勝天然記念物保存法(現今の文化財保護法)の成立により、厳島神社を含めた宮島全体が史蹟名勝の指定を受けています。
1948年(昭和24年)には、3年前の1945年に発生した「枕崎台風(まくらざきたいふう)」の被害により、「昭和の大改修」と銘打って大規模な復旧工事が開始されています。
昭和時代
1996年に世界遺産に指定されたことで知名度は世界圏へ!
1996年(平成8年)12月8日、厳島神社は、世界遺産(世界文化遺産)の登録指定を受けています。これにより外国人観光客も訪れるようになり、知名度は世界中に認知されることになります。
2007年!ミシュラン・グリーンガイドの3つ星を獲得し観光客が急増!
2007年3月になると、今度はなんと!改定第4版(フランス語)のミシュラン・グリーンガイド・ジャポンから3つ星評価を受けることになり、一気に知名度が増します。
この影響で2001年に241万人だった観光客が、なんと!年間400万人オーバーの観光客が押し寄せるという世界に名だたる一大観光地の一角に名を連ねています。
ミシュラン・グリーンガイドとは、フランスに本社を置く「ミシュランタイヤ」で有名な企業「ミシュラン」が、世界各地の観光地のスパイ調査を行ない、独自評価を付けて発行した旅行ガイドブックのことです。
現在では世界中から支持を受けるガイドブックにまで成長し、「ミシュラン3つ星」を獲得するだけで世界遺産登録と並ぶほどの知名度を獲得できる媒体にまでなっています。
【補足】ミシュラン・グリーンガイド評価レベルマーク
★★★ 「わざわざ旅行する価値がある」
★★ 「寄り道する価値がある」
★ 「興味深い」
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