入船山危険感、あぉっ!入船山記念館!!‥は、「いりふねやまきねんかん」と読み、入船山もしくは入船山公園という小高い丘陵の頂にあるレトロチックな博物館です。
以下ではこの入船山記念館の料金(割引)、所要時間(滞在時間)、見どころを一挙!ご紹介しています。うきゃ
項・一覧
呉市・入船山記念館
- 開館年:1967年(昭和42年)
- 敷地面積:約1.2万m2
- 運営者:呉市
入船山記念館の営業時間
- 9時~17時(入館は16時30分まで)
入船山記念館の定休日
- 毎週火曜日(祝日・休日の場合は翌日休館)
- 12月29日~1月3日
入船山記念館の料金(割引)
- 一般:250円
- 高校生:150円
- 小・中学生:100円
団体料金割引
- 一般:200円
- 高校生:120円
- 小・中学生:80円
大和ミュージアムおよび呉市美術館の観覧半券割引
「大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)」もしくは「呉市立美術館」の当日発行された観覧券の半券を所持している場合、窓口で提示することで入館料金が半額になります。
JAF会員優待割引
- 一般:250円→200円
- 高校生:150円→120円
- 小・中学生:100円→80円
無料で入館する方法(条件あり)
入船山記念館は、次のような条件を満たすことで無料入館することができます。
全額免除(無料)適用条件
- 呉市内に在住在学の高校生以下
- 呉市いきいきパス『敬老』の所持者
- 呉市いきいきパス『障がい者[大人]及び障がい者(小児)』の所持者(介護者1人を含む)
- 身体障がい者手帳、療育手帳又は障がい者手帳の所持者(介護者1人を含む)
- 被爆者手帳の所持者
- 戦傷病者手帳の所持者(介護者1人を含む)
- 小中高校等の学校行事の引率者
- 20名以上の団体引率者(添乗員等に限ります)
- 大和ミュージアム友の会会員証の所持者
入船山記念館の館内・敷地案内地図
入船山記念館の敷地はそれほど広くはありんせん。入口となる正門から目玉スポットとなる長官官舎までは徒歩約3分ぐらいの距離です。
入船山記念館の見学所要時間(滞在時間)
下記は御朱印スタッフが訪問した時の平均時間になります。ボランティアガイドをお願いした場合は1時間30分〜2時間くらいを見込んでおく必要があります。(ボランティアガイドについては後述‥)
- 庭園:約5分
- 旧東郷家住宅はなれ:約10分
- 水交神社:約3分
- 郷土館(券売所):約15分
- 歴史民俗資料館:約10分
- 旧呉鎮守府司令長官舎:約30分
- 園内を歩く時間:約7分
合計所要時間:約1時間20分
入船山記念館の館内・敷地の様子や見どころ
入口(正門)
赤レンガ調の床石が一面に敷かれたレトロ感ただよう洋風に整備された入口です。門の上にある魔法使いステッキのように加工された鉄棒が目を惹きます。
通路の敷石
正門から通路に敷かれている石は日本で6番目となる1909年(明治42年)に開通した市内電車で使用されていた礎石です。市内電車は1967年(昭和42年)から57年間、運行していました。
ちょうど正門から旧呉鎮守府司令長官舎前まで続いています。
庭園(故山苑)
- 作庭年:1982年(昭和57年)8月
- 作庭監修:中根金作
庭園は「故山苑」と名付けられていますが、「故山」とは、「故郷の山」ことを意味します。
庭園の様式は、枯山水(水を使用せず砂や石を水に見立てた庭園)を用いて作庭されています。
照明が設置されていることから、夜はライトアップされるのが分かる。さぞかし幻想的な光景を目に焼き付けることができるだろう。
中根金作は「昭和の小堀遠州」とも称えられるほどの著名な日本の造園家、作庭家です。
代表作として有名なのが、島根県安来にある「足立美術館」です。
旧東郷家住宅はなれ【登録有形文化財】
- 造営年:1890年(明治23年)
- 建築様式(造り):木造平屋造/瓦葺
- 建築面積:37m2
- 内部部屋構成:8畳1間/6畳1間の合計2間
- 現在地移築年:1980年(昭和55年)
この離れを見て分かりますが、サイズが少々スモールな離れになります。実は母屋部分もあったのですが、明治時代に火災により焼失したため、現在はこの離れのみが現存しています。
この離れの主人はバルチック艦隊撃破で有名な東郷平八郎元帥です。ただし、この当時の東郷元帥は「呉鎮守府第2代参謀長」として、1890年(明治23年)から約1年7か月間居処していた邸宅になります。
かつては、現在の宮原通り(呉市宮原5丁目付近)にある正円寺の山側に建っていたのですが、元帥が当地を離れると荒廃し、その後は呉東ロータリークラブの所有物となっています。
呉東ロータリークラブは東郷邸を別の場所へ移築していたのですが、創設20周年記念として呉市へ寄付し、呉市によって1980年(昭和55年)に復原する形で現在地に移築されたのが現在見ることのできる東郷邸の姿です。
1997年(平成9年)5月には国の登録有形文化財の指定を受けています。
関連記事:東郷神社の歴史(年表)・境内見どころなど
旧呉海軍工廠時計塔【呉市有形文化財】
- 創設年:1921年(大正10年)6月
- 高さ:約10m
- 四辺の長さ:一辺2.4m
- 文字盤の大きさ:直径1.5m
実はこの時計、なんとぉぅ!!国内産初・国産最古の「電動親子式衝動時計」になるという代物です。
1921年(大正10年)6月に旧呉海軍工廠造機部の屋上に設置され、以来、終戦を迎えるまで呉海軍工廠のシンボルとして共に時を刻んでいました。
ちなみに「工廠(こうしょう)」とは、軍が管理運営する直属の軍需工場のことです。内部では武器・弾薬をはじめとした軍需品が開発・製造・修理されていました。
このような当時では類を見ない画期的な構造の時計が設置された背景として、やはり戦艦大和の建造が背景に浮かび上がってきます。
艦船の建造時間短縮に注力する海軍にとっての時間というものが、重要な指標だったことを物語っています。
メカニズム
「親子時計」とは、親時計から発せられた信号を子時計が感知して、子時計も親時計と同じ動きをする時計のことです。
この時計を見れば分かりますが、四辺それぞれの面に文字盤が配置されています。すなわちどの角度からでも時間が分かる仕組みが採用されています。この事実からしても当時、海軍が如何に時間を重要視していたのが理解できるというものです。ウフw
これら4つの文字盤に取り付けられた針が同時に動く仕組みが気になるところですが、実は塔内部に核となる時計がもう1つあり、このメイン時計からパルス(衝動)がそれぞれの時計に送られることによって同時に動く仕様になっています。
建造された当初、画期的なメカニズムをもつ時計だったと言われており、驚くことにのぉあんと!現今に至っても時を刻んでいるというから驚きです。
また、呉という沿岸に面しながら、塩害の影響を受けずに現在でも時を刻み続けているカラクリの1つに歯車に使用されている材料が挙げられています。
なんでも「ネーバル黄銅(naval、もしくは海軍黄銅)」という艦艇兵装に使用されるような耐海水性に優れた材料を使用して作られているとのことです。
以上のように現今に至るまで由緒ある歴史を刻んできた時計であることから、1981年(昭和56年)には、呉市有形文化財の指定を受けています。
なんと!1日4回メロディーが流れる?!
実は、この時計、単に動くだけなく、なんとぉぅぉぅ!1日に4回、メロディーが流れる仕組みになっています。
メロディーが流れる時間
- 9時、12時、15時、17時
メロディーを作曲したのは「第37回呉市入船山記念館塔時計旋律募集優秀賞受賞者の10人の小・中学生です。
このメロディーは「第〇〇回」ということからも察するように毎年、旋律募集が行われ、変更されています。
基本は広島県内の小・中学生が対象になるようなので、もしあなたが条件に合致していればぜひ!申し込んでみてください。
ボランティアガイド詰所
入船山記念館には「呉観光ボランティアの会」によるボランティアガイドが常駐しています。
ボランティアガイドが案内してくれる場所
- 郷土館
- 1号館
- 歴史民俗資料館
- 旧呉鎮守府司令長官官舎
旧呉鎮守府司令長官舎の内部をメインに案内していただけます。
予約は特に必要ありませんが、その場合、先着順になることをご承知ください。
事前予約方法について
来館の1週間前までに「呉観光ボランティアの会(くれ観光情報プラザ内 TEL:0823-23-7845 FAX:0823-23-7850)へお申し込みしてください。
番兵塔
上記、ボランティアガイド詰所の前には、宮崎アニメの世界に登場しそうな白い傘をかぶった風変わりな塔のような建物が見えますが、これは「番兵塔」と呼ばれる建物です。
警護のため、長官官舎や海兵団などの入口に建てられていた遺構の1つです。番兵塔の名前からして察するように昼夜問わず兵隊さんが立哨(りっしょう)していたことから、足元部分の礎石がすり減っています。
ちなみに立哨とは、その場を動かずにピシっとした姿勢で突っ立つことです。
第二の門
番兵塔の奥には2つめの門が見えます。門の上部に弓なりのポールが据えられており、中央部分にレトロチックな白熱電球が取り付けられています。まるで宮崎アニメの世界‥。
旧高鳥砲台火薬庫【登録有形文化財】
- 創設年:1901年(明治34年)
- 建築様式(造り):総石造平屋造/切妻造/桟瓦
- 材質:花崗岩
- 大きさ:桁行9.7m×梁間4.2m
- 建築面積:40.0m2
- 発願者:大日本帝国陸軍
名前からして分かるとおり、この建造物は砲台火薬庫になります。
1901年(明治34年)に帝国陸軍が外国艦船の侵入を防ぐ目的で、音戸の瀬戸を見下ろせる標高218mの呉市警固屋に位置する高鳥台に築いた呉要塞の砲台火薬庫です。
後に旧海軍に移管され、当砲台に28㎝榴弾砲6門が配備されています。
終戦を迎えると音戸の瀬戸公園が整備されるのと同時に高鳥砲台も公園の一部として整備されることになり、処分が検討されていた所、入船山記念館が創設される話が持ち上がり、1967年(昭和42年)の当館の開館に合せる形で移築されています。
2011年10月には国の登録有形文化財の指定を受けています。
特徴・建築様式
この砲台火薬庫の外観を見て分かると思いますが、まず、正面入口の頭上に「一号館」と書かれた看板が飾られています。これは当館の1号館という意味合いがあります。
表面がゴツゴツとした石を積み上げる形で壁面が造られていますが、これは花崗岩を加工したコブ出しブロック塀というものです。すべて石でできていることから総石造りの火薬庫であり、国内でもかなり稀有な建造物になります。
特に注目すべき点は妻側の床下に設けられたゆるやかなアーチ型の形状にブロックが積み上げられていますが、これは保管した火薬に湿気が帯びないように換気口として設けられた穴ボコです。
内部の様子
当砲台の内部では映像シアターを用いての呉市の紹介や、呉の歴史を紹介すると共に、現在、地元出身の画家が呉市の景観などを描いた歴史絵画が展示されています。
⬆️映像も流れている。この時は呉市のテーマソング「君くれハート」の映像が流れていた。
所蔵品
実は入船山記念館には、1886年(明治19年)頃作成されたとみられる「呉軍港全図」という図面が所蔵されており、時折、この火薬庫(1号館)にて展示されることがあるようです。
この図面は呉鎮守府建設計画の図面であり、言わば極秘史料に位置づけられます。極秘資料ということで呉鎮守府(くれちんじゅふ)の検閲が行われ、民間に流通した近代呉市の地図は簡略化したものしか現存しておらず、貴重な資料となっています。
要塞地帯標
これらの標柱は、軍の重要な地域であることを標示し、進入禁止を示していたものです。呉軍港を囲む山林にあったものです。
このような標柱がある事実からして、かつての日本海軍にとって呉という場所は軍事機密が集積された重要な位置付けの軍事拠点だったことを物語ります。
水交神社
- 創建年:昭和18年
- 御祭神:天照大神
- 発願者(建てた人):旧日本海軍
素通りしてしまう方がほとんどですが、上述、「旧高烏砲台火薬庫」の後方の森林の中には「水交神社」という神社が建っています。
水交神社は、かつてこの入船山の麓に建っていた旧水交社の鎮守神として昭和18年に旧日本海軍が天照大神を当地にお祀りしたのがはじまりです。
しかし終戦を迎えると海軍が解体され、同時に祭主も失うことになりますが、付近に位置する亀山神社が戦災により焼亡に至り、亀山神社の仮社殿として御神体が遷されて亀山の神が祭祀されていました。
昭和30年に亀山神社が復興されると、この社殿は一時場所を転々としましたが、最終的に「とある呉市民の邸宅」にて保存されていました。
さらに時代を下ると、旧水交神社の社殿の調査が執り行われ、その結果、旧水交神社の社殿であることが明らかにされます。
その後、公益財団法人「水交会呉支部(旧海軍士官の会)」の発願により、史跡として昭和43年4月に当地に復元したものが、現在見ることのできる水交神社の姿です。
四十五口径十年式十二糎高角砲
- 長さ:全長515cm
- 口径のサイズ:12cm
- 重量:2910kg
「よんじゅうごこうけいじゅうねんしきじゅうにせんちこうかくほう」と読みます。
1922年(大正11年)頃、旧日本軍に正式採用され、太平洋戦争時代には陸上砲として1942年(昭和17年)から終戦までに2000門以上も生産されています。
正しくは高射砲ですが旧日本海軍では「高角砲(こうかくほう)」と呼びならわしており、航空機を撃墜するための大砲のことです。
当館にて展示されている高角砲は、1981年(昭和58年)に呉海軍工廠火工場(当時は神戸製鋼呉事業所機械工場)の地中約1.5mから発見されたものです。砲身部分に「昭和二十年海軍工廠」の刻字が見えます。
郷土館(券売所)
- 開館年:1979年(昭和54年)3月
- 建築様式(造り):鉄筋コンクリート造り
- 建築面積:194.0m2
- 建物構造:地上3階建
郷土館の館内構成:1階が券売所&事務所で2階が展示室です。
内部の様子
1階:券売所&事務所
2階への階段
レトロなボンボン置き時計
2階展示室
旧海軍関係資料を中心とした展示コーナー。
水蓄式油槽鉄蓋
「すいちくしきゆそうてつぶた」と読みます。呉市広町虹村の旧海軍燃料タンク基地で使用されていたものです。
「油槽(ゆそう)」とは、ガソリンなどの燃料を一時的に溜めておくためのタンクです。
本来、現今に見られるような地上に建てる様式の「地上タンク」が用いられるのですが、これだと攻撃の的になりやすいことや、被害が甚大になること、且つ、保安上の防備という面では良好とは言い難いものがあります。
そこで地下にタンクを埋める案が浮上し、さっそく地下調査が行われるのですが、なんとぉぅ!約40m下に粘土層あったことや広町虹村の地下水位が常に定量にあったことが幸いし、「水蓄式油槽式」が採用されることになります。
水蓄式油槽式とは分かりやすくいうと、底部分をコンクリートなどで覆わずに、底にある地下水や粘土層を利用してその上に重油を流し込んで重油を浮かす形で保存する方式のことです。
このような画期的な方式は当時、呉海軍経理部建築科長であった「真島健三郎工学博士」が考案したと言われます。
以来、大正15年(1926年)から昭和17年(1942年)にかけて約120基(1基の容量は5,000~10,000トン)が建設されています。
歴史民俗資料館
- 開館年:1986年(昭和61年)11月
- 建築様式(造り):鉄筋コンクリート造
- 館内構成:地上2階/地下1階
- 面積(大きさ):建築面積144.0m2、延床面積354.4m2
- 別名:「近世文書館」
1階には呉市の歴史的史料の他、旧海軍関連の史料の展示、および過去の芸備日日新聞などを展示しています。
2階部分でが展示室になっており、期間限定で企画展などが開催されることがあります。
所蔵品の「浦島測量の図」「伊能忠敬御手洗測量之図」は貴重な史料として「呉市指定有形文化財」の指定を受けています。
伊能忠敬御手洗測量之図は、伊能忠敬が実際に測量する場面を描いた貴重な史料です。
なお、これらの史料は常時展示されているとは限りません。詳細は当館へご確認ください。
旧呉鎮守府司令長官舎【重要文化財】【ヘリテージング100選】
- 開館年:1905年(明治38年)
- 建築様式(造り):木造平屋建/洋館部:外観に英国風のハーフティンバー様式/屋根:天然スレートの魚鱗葺き/玄関ドアステンドグラス付き(イギリス製)
- 面積:建築面積527.1m2
洋館/木造,建築面積223.0平方メートル,一階建,スレート葺
和館/木造,建築面積304.1平方メートル,一階建,桟瓦葺
- 設計:呉鎮守府建築課課長・桜井小太郎
旧呉鎮守府司令長官舎は、その名前の通り、歴代の旧呉鎮守府司令長官が居処した邸宅です。
この入船山記念館においては本館にあたるメインとなる建造物です。
1992年(平成4年)から1995年(平成7年)に解体&復元修理が実施されています。
現在の旧呉鎮守府司令長官舎は2代目!
この入船山記念館は1905年(明治38年)6月の芸予地震により倒壊しており、その廃材を使用して当時、呉鎮守府建築課課長であった桜井小太郎が設計を担当し、再建計画が成っています。
1905年(明治38年)、建築当時の資料が発見されたことから、当時の姿に復原する話が浮上し、
1998(平成10年)12月に、国の重要文化財に指定されています。
旧呉鎮守府司令長官舎の特徴
和洋折衷
この建物は木造平屋建で、東側の洋館部と西側の和館部からなり、洋館部は外観に英国風のハーフティンバー様式を取り入れ、屋根は天然スレートの魚鱗葺きで造られています。
また、玄関ドアの上側と左右にはイギリス製のステンドグラスがはめ込まれ、壁や天井には全国でも珍しい金唐紙(きんからがみ)が貼られています。
ハーフティンバー様式
この建造物の大きな特徴となるのが、洋館と和館の2つがセットになっていると稀有な建造物だということです。
その上、洋館部分の方は外観に「半木骨造」と呼ばれるハーフティンバー様式が採用されています。
「ハーフティンバー」とは、柱や貫、筋違いなど用いた建築様式を採用し、それらを隠すのではなく外観として見せた木造建築物のことです。
例えば、建物の初層部の壁をレンガ積みにして上層部を木組と漆喰を組み合わせた壁にするなど、1階部分と2階部分とで造りが異なるゆえに「半木骨造(ハーフティンバー)」と呼ばれまする。
このような建築方法は日本独自のものではなく、北方ヨーロッパで生み出された木造建築の技法であり、およそ15世紀頃から17世紀頃に英国で大流行しています。
日本へもたらされた正確な時期は判然とはしないようですが、日本では明治以降の洋館に多用されていまする。さっきから「る」何の意味や?
天然スレート
当館の屋根瓦は、粘板岩などの天然石を用いて魚鱗状に葺かれており、これは一般的に「天然スレート」と呼ばれるものです。
「スレート」とは、「薄い板状に加工する」などの意味があり、すなわち「天然スレート」とは、加工して薄い板状にした天然石を建材として屋根部分に使用したものです。
天然スレートは高級建材に位置付けられつつも、人気の建材であり、現今に至っても家宅の屋根瓦として用いられる例もあります。
金唐紙(金唐革紙)
当館の最大の特徴であるのが、この「金唐革紙(きんからかわし)」です。
金唐革紙とは、西洋で誕生した装飾技術の1種であり、日本においては特に江戸時代に貴人の邸宅の壁面などの壁紙として多用されています。
明治時代に入って大蔵省印刷局により製造され始めると、今度は逆に西洋へ輸出されることになります。
西洋の国々に輸入された日本製の金唐革紙は、ウィーン万国博覧会・パリ万国博覧会を通じて西洋人の目に触れることとなり、やがてバッキンガム宮殿などにも使用されるほどの好評を博すことになります。
以来、明治時代の象徴とも言える洋風建築に使用されますが、時代を下るにつれて徐々に使用される機会がなくなり、昭和の中頃を迎える頃にはほぼ完全に衰退しています。
よって現今に見られる金唐革紙が貼られた邸宅は貴重な文化財ではあるのですが、残念ながら当館で見られる金唐革紙は当初からあるものではなく、復元された金唐革紙になります。
実は当館の壁は占領軍(米軍)に接収されていた間にペンキを塗られてしまっており、1991年の復元作業が実施された折、初めて金唐紙が使われていたことが明らかにされています。
この発見により、上述したように金唐革紙の復原作業が実施される運びとなっています。
金唐紙の最大の特徴
「金唐紙」は上田尚という職人によって金唐革紙が復元されたことにより、新たに付されたネーミングです。
金唐紙の最大の特徴は、和紙に金属箔(金箔・銀箔・錫箔等)を貼り付け、完成した和紙を桜材などで作った版木に押し当てて凹凸文様を打ち出します。最後は彩色をほどこして完成です。
これらすべての工程を手作業にて行うがゆえ、高級壁紙に位置付けられています。
現在では国内において金唐革紙が見られる場所はこの入船山記念館を含め屈指です。
金唐紙の模様
金唐紙の模様は緑色の背景色を基調として、その上に金色の草花柄を用い、さらになんとぉぅっ!14種類の昆虫が飛び回っている春の草原の様子が描かれています。
⬆️よく見ると蝶やトンボ、セミ公、バッ公などの昆虫が見える! ….バッ公?バッタ?
応接所
応接所は長官が打ち合わせを行う場所です。西洋風のカーテンや座椅子、机椅子、棚などが見えます。
客室
食堂
座敷
海老束を挟み込んだ違い棚、天袋、床の間、掛け軸、欄間の透かし彫りなど、茶室としての意匠が感じられる居間です。
入船山記念館のライトアップ
期間限定通常ライトアップ
期間限定で夜間無料開放が実施されます。
※旧呉鎮守府司令長官官舎内への立ち入りは不可。
ライトアップ期間
令和元年10月19日~令和2年2月29日
ライトアップ時間
日没~20時まで
クリスマスライトアップイベント
クリスマス間近の週末になれば、当日限定で通常とは異なる特別ライトアップを実施しています。
実施日
クリスマス間近の土曜日12月21日頃〜25日頃の1日間
(※2019年度は12月21日(土))
ライトアップ時間
17時~20時
入館料金
無料ダ!
夜間無料開放
入船山記念館は下記、期間中の金土日の日没〜20時まで無料開放されています。
10月25日~12月21日までの金・土曜日の20時まで
具体例(2019年例)
- 10月25~26日
- 11月1~2日・8~9日・15~16日・22~23日・29~30日
- 12月6~7日・13~14日・20~21日
入船山記念館の歴史
- 開館年:1967年(昭和42年)
- 敷地面積:約1.2万m2
元来、入船山には奈良時代から、703年(大宝3年)から亀山神社が遷座していましたが、1886年(明治19年)鎮守府が開設されるのに伴い、大日本帝国海軍に接収(国家権力による土地没収)されています。
1889年(明治22年)に、この地に洋風木造2階建の軍政会議所と水交社が造営されています。
この軍政会議所は、呉鎮守府開庁式の折、明治天皇の行在所としても使用されており、1892年(明治25年)以降には、司令長官官舎として使用されることになります。
太平洋戦争終戦後、1956年(昭和31年)までイギリス連邦占領軍(BCOF)の司令官官舎として使用された後、大蔵省の所管として移管されています。
1966年(昭和41年)になると「旧軍港市転換法」に基づき呉市に無償貸与が決定し移管されています。
「旧軍港市転換法」とは、大日本帝国憲法下の日本において軍港を保有していた「旧軍港四市(横須賀市、呉市、佐世保市、舞鶴市)」に対して発令された法律のことです。
これら4市を「平和産業港湾都市」として転換する事により、平和をモットーに掲げた新生日本実現を確立することを目的として制定された法律のことです。
こうして1967年(昭和42年)から入船山記念館として一般公開が開始されています。
2015年より指定管理者制度が導入されると、これまでの呉市になり代わりって民間企業が管理者として参入できることになっています。
入船山記念館の交通アクセス
バス
広電バス宮原線「国立病院・坪の内経由」へ乗車、「入船山公園」バス停下車すぐ
車
広島呉道路(クレアライン)呉ICから約5分
電車
JR呉駅から徒歩約13分
船
呉中央桟橋から徒歩約15分
入船山記念館の駐車場について
入船山記念館の駐車場は呉市立美術館の斜め前に位置します。
美術館との共用駐車場になります。
駐車場への入口
駐車場の入口を探してしまいそうになりますが、上述、カフェ(cafe the bricks)の隣にあります。ちょうど美術館の前あたりです。
収容台数:122台(1時間100円)
※大型バス専用駐車場有(12台・無料)
現在、入船山記念館へ来館すると漏れなく「マンホールカード」がもらえる!
この呉には全部で8つのカラフルフルなマンホールがあります。
そのうちの1つがこの入船山記念が建つ、美術館通りにあって、そのマンホールを撮影してカードにした「マンホールカード」が漏れなく入館者には進呈されまする。
配布概要
・券売所にて1人につき1枚を手渡し。券売所まで来られた人のみお渡しします。
・事前予約や郵送などは受け付けておりません。
入船山記念館の付近周辺の観光スポット
関連記事:呉・入船山公園「美術館通り」の見どころ(戦艦大和マンホール・オブジェ・銅像)のご紹介!
関連記事:JAFクーポンは使える?呉・大和ミュージアムの入場料金・割引チケットについて
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