宮島 厳島神社・境外摂社「地御前神社」【厳島神社・外宮】
創建年
- 不明
- 推定:593年(推古天皇元年)
再建年
- 1760年(宝暦10年):本殿
- 1760年(宝暦10年):客人宮本殿
- 1914年(大正3年):拝殿
建築様式(造り)
- 入母屋造(拝殿)
- 五間社流造・一間庇付き(本殿)
- 三間社流造・一間庇付き(客人本殿)
- 平入
屋根の造り
- 銅葺き
大きさ
本殿
桁行六間(横幅:約12m)
梁間二間(奥行:約4.5m)
客人神社
桁行三間(横幅:約6m)
梁間二間(奥行:約4.5m)
拝殿
桁行九間(横幅:約18m)
梁間三間(奥行:約6m)
御祭神
- 市杵嶋姫命
- 田心姫命
- 湍津姫命
※宗像三女神
社格
- 厳島神社・境外摂社
- 厳島神社・外宮
例祭(神事)
- 旧暦6月17日(管絃祭)
- 旧暦5月5日(流鏑馬神事)
地御前神社の読み方
「地御前神社」は「じごぜんじんじゃ」と読みます。
地御前神社の名前の由来
「地御前」の名前の由来とは、宮島の対岸である「陸”地”」に位置し、本宮(厳島神社)の「前(”御前”)」にあると言うことから「地御前」と言う名前が付されています。
地御前神社の別名
上記のような由来から地元では「地の御前神社」とも呼称されていたようです。
宮島・厳島神社にも『内宮』と『外宮』があった!!
あまり知られていませんが実は、厳島神社には神宮(伊勢)と同じように「外宮・本宮(内宮)・奥宮」が存在しており、この地御前神社はなんと!「厳島神社の外宮」としての側面も持ち併せています。
本宮(内宮)とは、宮島の厳島神社そのものであり、奥宮とは厳島神社の後方にそびえる弥山の山頂に位置する「御山神社」を指します。
広島県・地御前神社の歴史・由来
かつて宮島は人が住むことが許されない「神そのものである」とされていたため、御神体である宮島を拝する場所を対岸に造りました。
その「拝する場所(遥拝所)」が現在の地御前神社の前身であり、創建の後、平清盛によって現在のような社殿が造営されたと云われています。
厳島神社の伝承では、地御前神社の創建は593年(推古天皇元年/飛鳥時代)であるとされ、すなわちこれは厳島神社の創建と同じと言うことになります。
1168年(仁安3年/平安時代)の厳島神社の神主であった「佐伯景弘」の手記によると、この当時の地御前神社の境内にはなんと!19もの殿舎(社殿・堂宇)が存在していたことが明らかにされています。
これについては1544年(天文13年)に地御前神社の境内に「鐘楼(しょうろう)」があったことが確認されており、その証拠となるものとして、広島県沼隈町に位置する「西光寺」の境内には、かつて地御前神社の鐘楼にあったとされる「梵鐘(ぼんしょう/=鐘)」が残されています。
殿舎に関しては、時代を経る過程で「本殿」と「客人宮本殿」を失い、さらに境内に存在したとされる多数の殿舎も失っており、現在では客人宮本殿と本殿、拝殿を残すのみになっています。
近代に至っては、1891年(明治24年)に「拝殿」を台風で損失していますが、1915年(大正4年)に代々世襲制の棚守(神主)であった飯田氏によって再建されています。鳥居は1898年(明治31年)に造営されたもので比較的新しいものとなります。
ただ、江戸時代の古文書の絵図によると地御前神社の前は海岸になっており、海岸の海中に鳥居が建っている様子が描かれていることから、鳥居も江戸時代に存在したことになります。
ちなみに現在の鳥居には厳島神社の外宮であることを示す「厳島神社・外宮社」と書かれた「扁額(へんがく)」が掲げられています。
地御前神社の前に広がる海岸は厳島合戦の要地!
また、地御前神社やその前の海岸沿いは「厳島合戦(1555年10月16日)」において毛利軍が陣を張った場所として有名です。
元就は地御前に3000の精鋭を集結させて、「荒れ狂う瀬戸内海」を猛々しい瀬戸内の海賊衆と共に、宮島に陣取った陶(すえ/陶晴賢のこと)の本陣を目指して出陣しています。
地御前神社の建築様式(造り)
社殿の配置図
現在の地御前神社は「本殿2棟(大宮本殿・客人本殿)」と「拝殿1棟」で構成されています。
詳しくは拝殿を正面に見て拝殿奥の「右側に大宮本殿(本殿)」、「左側に客人宮本殿(まろうどのみやほんでん)」が位置しており、これらの社殿をつなげる形で間に「幣殿(へいでん=廊下部分)」が連絡しています。
↑地御前神社を上から見た地図「道路手前が拝殿・右奥本殿・左奥客人殿」
本殿と客人本殿はいずれも厳島神社を模した建築様式になっており、「流造り(なげれづくり)」の社殿と正面に「黒色の格子扉」、社殿の色も「鮮やかな朱色」に整えられています。この事実からしても、さながら厳島神社の外宮であることを強く誇示しています。
また、社殿の細部の部材である「蟇股(かえるまた)」や「懸魚(げぎょ)」、「虹梁(こうりょう)」と言った木製パーツは江戸時代の特徴を色濃く残しています、一方で社殿内部の造りは平安期の特色を多く残しています。
つまりこれらの事実から次のようなことを察することができます。
- 江戸時代に再建が執り行われた
- 江戸時代の再建において創建当初の殿舎を復原(ふくげん/模造する)した
この江戸期に行われた再建の際、平安時代の殿舎を復原したことを裏付ける証拠の1つとして、本殿の腰組(脚元)下の礎石(そせき)が「平安時代の石」であることが明らかにされています。
えぇっ?!地御前神社にはかつて幻の御旅所が存在した?!
場所は定かではありませんが、この地御前神社にはかつて「御旅所(おたびしょ)」が存在したと云われています。
御旅所とは、一般的にはお神輿の出発地点のことであり、巡幸に出発する場所という意味合いで「御旅所」と呼称されます。
一説によれば現在の地御前神社沿いを走るJRの線路の向こうに「御旅所」と「釈迦堂」の2棟が並ぶ形で存在していたと云われています。
なお、その御旅所の残骸となる礎石が、現在の地御前小学校の正面入口の石垣に使用されているとのことです。
意味もなく立っている柱に隠された真実
拝殿内部の右側では天井まで届かずに、途中で切断されたような格好で立っている主柱が見られます。
この柱は一見すると意味や由来が分からない柱に見えますが、実は船を係留させる時に用いる「”もやい綱”をつなぎ止める柱」であり、これは地御前神社のすぐ前まで海水がきていた様子が伺えます。
ちなみに「大宮本殿」と「客人宮本殿」の意味とは、厳島神社を例にすると「大宮本殿は”本殿”」に相当し「客人本殿とは”客神社”」に相当します。
地御前神社の「御祭神」
地御前神社の御祭神は「市杵島姫命」「田心姫命」「湍津姫命」となっており、これはすなわち本宮(厳島神社)と同じ「宗像三女神」と言うことになります。
また、本殿の右側の客人宮本殿でも祭神が祀られており、「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命」「天穂日命」「天津彦根命」「活津彦根命」「熊野樟日命」となっています。
すなわち客人宮本殿は、本宮(厳島神社)の「客神社」と同じ御祭神と言うことになります。
したがって、地御前神社でも本宮(厳島神社)と同様のご利益を授かることができます。
地御前神社の例祭(神事)
「管弦祭(厳島神社)」
例年、旧暦の6月17日に本宮である厳島神社では「日本三大船神事」とも言われる「管弦祭(かんげんさい)」が執り行われます。この管絃祭では、厳島神社から3隻の御座船が出され御座の上で管弦の演奏が奉奏れます。
その際、地御前神社へも御座船が立ち寄って祭典が執り行われます。
- 開催日程:例年、旧暦6月17日
- 開催時間:16時から開始(地御前神社への到着は20時頃)
- 参拝料金:無料(見学自由)
「流鏑馬神事」
地御前神社の有名な神事の1つに「流鏑馬神事(やぶさめしんじ)」があります。
江戸時代では射手が馬に騎乗して馬上から的を射たようですが、現在では神社の前に「道」、神社の本殿後方には「線路」があることから馬を走らせるのはなくなったそうです。
しかし、江戸時代では「広島藩の馬」を使用して走らせていたそうで、このことから「馬とばしの神事」とも呼称されていたようです。
現在では馬は走らせなくとも的を射抜く方法は古来、変わらず、地元の代表者が射手となり、的から約20m離れた場所に馬を停止させ、馬上から「3つの的」を射抜きます。
尚、地御前神社の境内には、江戸時代に流鏑馬神事で実際に使用されていた馬具が現存しています。
流鏑馬神事の日は地御前神社の周りに露店が軒を連ね、静かな地御前神社の周辺を賑やかに華やかに彩ります。
- 開催日程:例年、旧暦の5月5日(端午の節句)
- 開催時間:流鏑馬は15時頃から開始
- 参拝料金:無料(見学自由)
広島県・地御前神社へのアクセス(行き方)「バス・電車」
地御前神社の最寄り駅・最寄りバス停
- 広電:「地御前駅」
- JR:「宮内串戸駅」
- 広電バス:「地御前バス停」
- さくらバス:「地御前神社前バス停」
「宮島口」から地御前神社へのアクセス(行き方)
宮島口から地御前神社へは、広電の「広島電鉄宮島線・広島駅行」へ乗車して3駅先の広電・地御前駅で下車します。
地御前駅からは徒歩で約8分ほど宮島口に戻る形で線路沿いを歩きます。
- 所要時間:約30分
- 料金:130円
「広島駅」から地御前神社へのアクセス(行き方)
広島駅から地御前神社へ行くには、JRで「JR山陽本線・南岩国行き」へ乗車して「JR宮内串戸駅」で下車します。
JR宮内串戸駅から徒歩で約20分、宮島口を目指す形で線路沿いを歩くか広電バスへ乗車することもできます。
- 所要時間:約50分
- 料金:370円
もしくはJR廿日市市駅で広電へ乗り換えて「広島電鉄宮島線・広電宮島口行き」へ乗車して「広電・地御前駅」までアクセスします。
地御前駅からは上記と同じ方法になります。
- 所要時間:約50分
- 料金:430円
「広電バス」「廿日市市さくらバス」を利用
「廿日市市さくらバス」
地御前神社へは「広電バス」と「廿日市市さくらバス」を利用することもできます。
さくらバスは広電・廿日市市駅やその近辺から運行しています。
注意点としては運行本数が極めて少ないと言うことです。
さくらバスの場合は「地御前神社前バス停」で下車して徒歩約1分です。
- さくらバスの料金:大人200円、小人100円、障害者100円
「広電バス」
広島駅からJRで宮内串戸までアクセスしJR宮内串戸駅から広電バスへ乗り換え「佐伯線(日赤看護大−津田・宮内)・日赤看護大学行き」へ乗車し「地御前バス停」で下車して徒歩約3分です。
- 広電バスの料金:大人160円
お得な「広電1日乗車券」
広電バスを利用される場合は「1日フリーパスチケット」を購入しておくとお得です。
詳しくは「広島ピースパス(電車バス一日乗車券)」と言うチケットになります。
この券を所持していると広電と広電バスが1日間乗り放題になります。
- 大人700円、小児350円
また、宮島へ行かれる方は「松大汽船」と「宮島ロープウェイ」が割引になる「広電1日乗り放題券」と言うのもあります。ウフ
地御前神社のINFO
住所:廿日市市地御前五丁目
TEL:0829-36-0795(地御前氏神社大歳神社)
営業時間(開門・閉門時間):なし(自由参拝)
定休日:なし(年中無休)
地御前神社の前の海岸は潮干狩りの穴場的な場所!だけれども注意が必要!
例年、4月から5月の中頃にかけての休日や連休(ゴールデンウィーク)は、地御前神社の前が少し賑やかになる時期でもあります。
と、言いますのも、地御前神社の前の海岸は「潮干狩りの穴場的な場所」として様々な媒体で紹介され認知されるようになり、年々、潮干狩りに来訪する人数が増加傾向にあるようです。
しかし、地御前神社の前の海岸は、廿日市の「地御前漁業協同組合」が漁業権を所有しており、アサリや魚を捕獲するには許可が必要になりますので注意が必要です。
地御前神社の場所(地図)
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