宮島・厳島神社「高舞台」【国宝】
創建年
- 不明
- 推定:鎌倉時代
再建年
- 1680年(延宝8年)
令和 6年 1月 22日〜令和 6年 12月末 補修工事
大きさ
- 前面5.2m
- 後面6.4m
広さ
- 面積:33.88㎡
重要文化財指定年月日
- 1899年(明治32年)4月5日
国宝指定年月日
- 1952年(昭和27年)3月29日
寄進者(造営者)
- 棚守房顕(室町時代の厳島神社の宮司)
厳島神社・高舞台の読み方
厳島神社・高舞台は「たかぶたい」と読みます。
厳島神社の境内には、もう1つ西回廊の果てに「能舞台」と呼称される舞台がありますが、これは高舞台とは全く別の舞台となります。
「高舞台」の名前の由来
当、高舞台の下に広がる部分は「平舞台」と呼ばれ、単にその高台に設置されることから「高舞台」と呼ばれるらしい。
厳島神社・高舞台の歴史
高舞台とは、祓殿(はらえどの)の前にある「美しい朱塗りの階段が付いた舞台」です。
周囲に高欄(こうらん/手スリ)が据えられ、よりいっそう朱色の美しい景観を演出しています。
「高舞台」の名前の由来は、「平舞台」に階段が付いた「高い舞台」に由来しています。
その他、この厳島神社の高舞台は「日本三舞台」といわれています。
日本三舞台
- 厳島神社の高舞台
- 住吉大社(大阪)の石舞台
- 四天王寺(大阪)の石舞台
厳島神社の高舞台は、本殿・祓殿の殿舎の延長上にあり、海上に造営されている唯一無二の舞台です。
また、平清盛により「大阪・四天王寺」の舞楽の演目の一部が厳島神社へ移されており、現在でもこの舞台で舞われています。
その他、この高舞台ではコンサートなどでも使用されています。
現在の舞台と楽屋が改築・建立されたのが1680年(延宝8年)だと伝わっており、改築・建立したのは、広島第4代目藩主・浅野綱長によるものだといわれています。
1991年(平成3年)には、台風19号の影響によって被害を受け、1994年(平成6年)に再建されています。
高舞台の見どころ
厳島神社の歴代宮司が奉納した擬宝珠(ぎぼし)
上述したように、高舞台の周囲には高欄が張り巡らされ、四辺の合間合間に擬宝珠が付けられた「宝珠柱(ほうじゅばしら)」が8本据えられています。
これら8本の内の2本は室町時代に取り付けられたものであり、ちょうど本殿の祓殿の前の高舞台に上がる階段の両側の擬宝珠がそれに該当します。
この2本の高欄には次のような刻銘(こくめい/刻まれた文字)が残されています。
「檀那當(だんなとう) 棚守左近将(たなもりさこんのしょう)監(げん)房顕(ふさあき) 時 天文十五年 丙 午 六月」
このうち、「檀那」とは「寄進者」を意味し、「棚守」とは「厳島神社の社殿の管理全般を行う職」のことを指します。これはつまり現代の「宮司(みやつかさ)」のことです。
「天文十五年」は「1546年」になりますので、これらの意味合いを紐解くと次のようになります。
「1546年(天文15年)6月、厳島神社・宮司の棚守左近将 房顕が寄進した舞台(擬宝珠)である」
あまり知られていませんが、実は現代に至っても厳島神社の宮司は代々、血縁者が就任しており、つまりは現在の宮司の先祖が奉納したことになります。ウフ
⬆️舞台四隅に見える飾り金具。よく見れば昨今大人気の猪目(ハート模様)も見える
上掲写真の猪目は古来、魔除けの願掛けとして開ける穴ボコであり、例えば東京の明治神宮境内の楼門の扉の飾り金具にも見ることができます。
⬆️明治神宮本殿前の楼門の飾り金具⬆️明治神宮拝殿の腰長押の飾り金具
突進してくる猪は止まることを知らず、その様相が頼もしく映ったのでしょう。
『猪突猛進』と言う言葉があるように、猪の何者をも恐れず突き進む姿を神格化させて、その利益にあやかったのでしょう。
厳島神社・高舞台での演目に注~目っ!
厳島神社の高舞台では、年に9回、舞楽が舞われれています。(厳島神社全体で11回)
中でも特に注目すべき演目は例年、4月の中旬と10月の中旬に催行される「桃花祭」と「菊花祭」です。
開催時間は17時からと、やや遅い時間帯となり、演目は全部で約10曲ほど奉奏されます。
厳島神社へお越しの際は、是非!4月の中旬と10月の中旬を狙って訪れてください。
厳島神社・高舞台の場所(地図)
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