宮島・厳島神社の「神烏」の読み方
一見すると「神鳥」という漢字に見えて、そのまま「かみとり」や「しんちょう」と読んでしまいそうになりますが、よく見れば「神鳥」という漢字の「鳥(とり)」は「鳥」ではなく「烏(からす)」となり、すなわち「神烏」と書きます。
これを厳島神社を含め宮島では「神烏=”おおがらす”もしくは”ごからす”」と読んでいます。
厳島神社入口の「石燈籠の上のカラス像」
おおよその参拝客は目にもかけずにそのまま素通りしてしまいますが、厳島神社の入口となる「東回廊」の入口には石燈籠が建っており、この石燈籠の上の「笠の部分」をよく見るとそれぞれの石燈籠に「カラスが止まっている」のが目に入ります。
この石燈籠のカラスは「ブロンズ製(銅製)の像」で、燈籠とカラス像は「1901年(明治34年)」に建てられています。
そして実はこのカラスと宮島、厳島神社に深いつながりがあったことはあまり知られていません。
宮島の「神烏」の歴史・由来
実は、厳島神社を含めた宮島には「神烏(おおがらす)伝説」と言うものがあります。
この言い伝えによると、厳島神社が創建される前のある日の夜のこと、佐伯鞍職(さえきくらもと)」と言う人物の夢の中に「厳島大神(伊都岐島神)」と名乗る神が現れて「自らが鎮まる場所を探している」「高天原の神鳥がそなたを案内するので辿り着いた場所に私を祀りなさい」と、伝えたそうです。
次の日、鞍職はその場所を探すことになりますが、宮島内の「養父崎浦(やぶさきのうら)」へ訪れた時、「粢団子(しとぎだんご)」をクチバシにくわえ込んだ神鳥が「弥山の山頂」から突如、飛び降りてきて鞍職を現在の厳島神社のある場所まで案内したそうです。
ちなみに「粢団子」とは、米をクソほど水に浸して、クソほど柔らかくして、クソほどコネまくった団子のことです。
・・こホんっ!
え~っ..尚、この時に鞍職は宮島を9箇所巡ったと伝承が残されており、これらの9箇所には社が建てられています。現在では厳島神社の境外末社としてひときわ篤い崇敬が寄せられています。
宮島・厳島神社境外末社「養父崎神社」の神事「御鳥喰式」
厳島神社の境外末社「養父崎神社」では、上記のカラスに因んだ神事が執り行われており、その神事を「御鳥喰式(おとぐいしき)」と呼称します。
宮島には古来から「安芸の宮島廻れば七里、浦は七浦、七恵比寿」と言う謎の言葉が伝承されており、大幅に要約すると「7つの浦にある9つの神社」へ巡拝し、そのうちの「養父崎神社(やぶさき)」においては「御鳥喰式」の神事を行うといったことになります。
画像引用先:厳島神社ホームページ
この神事は察しの通り、上記の「神鳥(おおがらす)」に因んだ神事です。
例年5月15日に養父崎神社が建つ「養父崎浦(やぶさきうら)」の沖合に船を浮かべて、船にお供え物として「幣串(へいぐし)」と「粢団子」を共進し、さらに「雅楽(ががく)」を奉奏します。すると、摩訶不思議な事にやってくるじゃアーリませんか!神烏が!しかも2羽も!! その後2羽の鳥は、団子をついばんで養父崎神社へ持って行くんだそうです。
そしてこの神事に参列した人は1年の幸運を授かることができると云われています。
まだつづきがあった!宮島、厳島神社の神鳥伝説「四鳥の別れ」
実はこの神鳥(カラス)に関しての伝承がまだあり、この神鳥はなんと!親子で存在するそうです。
親烏は子烏が成鳥になると、本土に位置する大野町の「大頭神社(おおがしらじんじゃ)」で子鳥と別れるそうです。
こうして次の年の5月15日は再び親子2羽で現れて親の後を引き継ぐと云われています。
厳島神社のカラス像(石燈籠)の場所(地図)
厳島神社のカラス像(石燈籠)は厳島神社の境内の東回廊の入口にあります。
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