宮島・厳島神社「本殿(幣殿・拝殿・祓殿)」【国宝】
創建年
- 593年(推古天皇元年/飛鳥時代)
再建年
- 1168年(仁安3年/平安時代)※現・社殿の創建
- 1571年(元亀2年/室町時代or戦国時代)
建築様式(造り)
- 切妻造り
- 平入
- 堀立柱
- 一重
※両流造
屋根の造り
- 桧皮葺
大きさ
- 横幅:柱間三間・正面八間:約16m
- 奥行:柱間二間・梁間四間:約8m
- 背面:九間:約18m
重要文化財指定年月日
- 1899年(明治32年)4月5日
国宝指定年月日
- 1952年(昭和27年)3月29日
主祭神
- 市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
- 田心姫命(たごりひめのみこと)
- 湍津姫命(たぎつひめのみこと)
※宗像三女神
発願者
- 佐伯鞍職(創祀)
- 平清盛(中興)
項・一覧
宮島・厳島神社「本殿」の歴史
厳島神社の本殿は593年の創建で約1400年の歴史があります。
安芸国の権力者であった「佐伯鞍職」が夢の中で神託を受け、宮島の御笠浜の当地に「伊都岐島神」を創祀したことが始まりです。
その後の1168年に、平安時代の権力者である平家の総大将・平清盛によって、現在の社殿の姿に改築されています。
以降、安芸の国の支配者が変わる度に、資金的な援助が受けられたり、得られなかったりと時代の荒波に揉まれながらも、何とか平安時代の平清盛が造営した当初の社殿群の姿を留めています。
1400年の歴史を歩む過程で公式的に判明している大規模な本殿の修繕と造営はわずか2回のみであり、1回目の造営が1168年の平清盛、2回目の再建が1571年の毛利元就と伝わっています。
しかし、祭祀される御祭神が時代を経るごとに増えている関係で、1400年の歴史の中で幾度となく修繕や拡張がなされていたと思われます。
尚、現在の厳島神社の社殿群は、本殿・拝殿・回廊など6棟が国宝に指定を受けており、その他、14棟が重要文化財に指定を受けるに至っています。
また、社殿群全体が由緒ある歴史的建造物として1996年(平成8年)に「世界文化遺産」として世界遺産登録も受けています。
その他、この宮島自体が「厳島」として1923年(大正12年)3月7日に国指定の「史跡名勝天然記念物」にも登録されており、日本三景(松島・天橋立)の様相を飾る一角でもあります。
宮島・厳島神社「本殿」の御祭神と「創建当初の御祭神」
厳島神社の御祭神は「宗像三女神(むなかたさんじょしん)」と呼称される以下のような3柱の神様です。
- 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
- 田心姫命(たごりひめのみこと)
- 湍津姫命(たぎつひめのみこと)
しかし、創建当初の厳島神社の御祭神は「伊都岐島神(いつきしまのかみ)」と呼称される宮島(厳島)そのものを御神体とした神を祀っており、現在のような3柱の神様ではありませんでした。
その後、時代を経る過程で福岡県宗像市の「宗像大社」の御祭神宗像三女神の1柱である「市杵島姫命」と「伊都岐島神」との読み方や名前が似ていることから、同一の神様として見られるようになり、当初は「市杵島姫命」が勧請されて創祀されました。
しかしその後「市杵島姫命」だけではなく「田心姫命」と「湍津姫命」を加えた「宗像三女神」が勧請され、2柱増えた「宗像三女神」として、この本殿で相殿されるに至っております。
「宗像三女神(むなかたさんじょじん)」とは、福岡県の宗像大社に鎮座されている神様で「海の神様」として有名です。
3柱の神様のうち「田心姫命」は、厳島神社の境内の「摂社・大国神社」でお祀りされている「大国主命(大国主大神)」の妻神にあたります。
そして驚くことになんと!「湍津姫命」も「大己貴命(おおなむちのみこと/大国主大神)」に嫁いでいることから、田心姫命と同じ夫神に嫁いでいることになります。
「大国主大神(おおくにのぬしのおおかみ)」と言えば出雲大社にご鎮座されている神様であり、「縁結びの大神」として有名です。
大国主大神は、厳島神社の「摂社・大国神社」の主祭神でもあることから、厳島神社も縁結びに関しての強いご利益をもった社と言えます。
宮島・厳島神社「本殿(幣殿・拝殿・祓殿)」の建築様式・特徴
厳島神社の本殿は「本殿」「幣殿」「拝殿」「祓殿」の「4つの殿舎」の構成で成っています。
本殿
- 創建年:1166年(仁安元年)頃
- 再建年:1571年(元亀2年)
幣殿
- 創建年:1166年(仁安元年)頃
- 再建年:1571年(元亀2年)
祓殿
- 創建年:1166年(仁安元年)頃
- 再建年:1241年(仁治2年)
拝殿
- 創建年:1166年(仁安元年)頃
- 再建年:1241年(仁治2年)
厳島神社・本殿
厳島神社の本殿ならびに社殿群の屋根は、当初は「こけら葺き」で造営されていましたが、1168年の平清盛による大造営時に「こけら葺き」から「桧皮葺(ひわだぶき/材質:ヒノキ)」へと葺き替えられています。
これは当時の厳島神社の神主であった佐伯景弘の「海風に社殿が晒されて、老朽化が著しい」との打診によって実現したものです。
また、本殿の「殿」となる部分(母屋)前後に庇が備え付けられていますが、これは前後で長さが異なります。
これは母屋の前室にあたる内陣(ないじん)に「大床」が設けられているためであり、前面の庇の方が少し寸法が長く造られています。
長く造られている分、流れ造りのカーブは背面よりも緩やかになっています。
本殿の見どころ・特徴
本殿は左右非対称
本殿は一般の参拝者が立ち入ることのできない禁足地となりますが、中央部に空想で縦に軸線を入れて左右を見比べた場合、右側が2柱分のスペース、左側に3柱分のスペースがあり、これはつまり左右で長さが異なります。
本殿が左右で長さが異なる理由は左側の1柱分のスペースにかつて弁財天像を安置していたためです。
なお、”かつて”とお伝えした理由は、明治初頭に政府により発せられた「神仏分離令」によって仏像である弁財天像が、近隣に位置する大願寺(だいがんじ)へ移されて安置されています。
「京都・伏見稲荷大社の本殿」と「宮島・厳島神社の本殿」を比較!
少し話が反れますが、厳島神社を見ていると時々、見間違える造りの社殿が頭に浮かんできます。
その社殿とは京都にある「伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)」です。
京都・伏見稲荷大社の本殿の屋根の形は、ひらがなカタカナの「へ」の文字に似たような形状をしています。
一方、厳島神社の本殿の屋根は両側(前後)に渡って「へ」の文字の屋根が広がっています。
伏見稲荷大社の「へ」の字の形状の屋根を「流造(ながれづくり)」と呼称します。
一方、厳島神社の本殿の屋根のように両側に「へ」の文字が広がった形状の屋根を、前後両側に「流造」があると言う意味で「両流造(りょうながれづくり)」と呼称します。
通常の神社の屋根の形状に多いのは「流造」の方ですが、厳島神社のように「両流造」の屋根を持つ神社は、日本中でも「気多神社、松尾大社」などを代表に数社しか現存しておらず、極めて貴重な社殿の造りとなります。
両流造りの屋根にさらに注〜目っ!
この両流造りの屋根によく注〜目っ!してみると、屋根の中央の横木となる「棟(むね)」の両端に「長いお鼻のような”鳥衾(とりぶすま)”」が付いた「鬼板(おにいた)」と呼ばれる「棟飾り(むなかざり)」が据えられています。
その鬼板の下あたりの屋根にさらに注ぅ〜目っ!!してみると、なだらかに折れ曲がっているのが視認できます。
この部分は「箕甲(みのごう)」と呼称され、日本特有の建築様式となります。また、建造物の時代判定の基準にも活用されます。
箕甲の名前の由来は、”箕(み)”と呼ばれる「竹製のザル」の甲(底の盛りがった部分)に形状が類似していることが挙げられます。十日えびすで授与していただける「福箕(ふくみ)」が代表例です。
なお、通例では箕甲は時代を経るにともない角度が90度に近づいていきますが、厳島神社の箕甲はやや角度が付いている様子がうかがえます。ん〜..はてさて
本殿と拝殿の屋根の段差から垣間見える真実
本殿と拝殿の間には幣殿があります。これらの殿舎は清盛公が創建した当初から存在したいたものではなく、平安時代以降に増設される形で造られています。
あまりジックリと見る方は数少ないと思われますが、厳島神社に参拝された際はちょっと本殿と拝殿の間を望遠鏡などで是非!みてください。
本殿と拝殿の間に幣殿がありますが、屋根の軒先をよく見てみると本殿と拝殿、双方の屋根には30㎝ほどの隙間であり、ほぼブツかり合っていることが分かります。
つまり、その真下に廊下となる幣殿とその屋根があることになります。
ただ、厳島神社のような格式高い寝殿造りを基本とした殿舎の場合、お互いの屋根の位置をほとんど隙間なく、はたまた屋根の高さも均一にするのが通例です。
屋根の高さが均一ではない上、隙間があるのは次のような理由があるからです。
- 造営された年代が本殿と拝殿とで異なる
- 室町時代に本殿を再建した際の職人の技量が低かった
- 物資の調達および資金的に難があった
今日、一般的に厳島神社の社殿群は平安時代に清盛公が造営したことがで広く知られていますが、この本殿は室町時代に当地を支配していた毛利元就によって取り壊され、再び再建されています。(拝殿は鎌倉時代に鎌倉幕府による再建)
その再建の際、元就が手配した職人の技量が足らないことから、このように屋根の段差や隙間が生じています。
しかし、言い換えれば時代をまたいで互いの殿舎が造営された証拠の1つともなり、はたまた、戦乱の時代(戦国時代)の物資や職人の不足、資金難などの時代背景が垣間見える数少ない箇所とも言えます。
室町時代に資金難の状況で再建された本殿
上述したように室町時代の元就公による再建では、職人や物資(用材)の不足の他、資金難もありました。
戦国時代の毛利家が置かれていた状況や、戦国時代という時代背景がもう1つ垣間見える場所が本殿の建築様式にあります。
本殿の天井下の壁沿いの組物に目をやると、組物の間の「中備(なかぞなえ)」の部分は「間斗束(けんとづか)」が据えられ、総体的な組物の手法として「平三斗(ひらみつど)」で組まれています。
一方、平安期に清盛公によって造営された客神社の建築様式に目をやると組物に「蟇股(かえるまた)」が据えられています。
一般的に蟇股を建物に据える場合、用材の選定や調達が必要な上、加工と手間にも費用・時間がかかりますので、格式高い建造物に用いられるのが一般的です。
その事実を鑑みた場合、現在の厳島神社の本殿のような状況は通例では考えられないことです。これでは本殿よりも客神社の方が格が高くなってしまいます。
境内の摂社格の客神社よりも本殿の方が低く扱われた理由は、単純に資金難があったためだと考えられます。
現在で例えると”県レベル”の”国”と”国”とが日常的に国取りを画策していた戦国時代、おそらく用材の手配ですら容易ではなかったハズです。
本殿の謎の小部屋
実は厳島神社の本殿の背面部分には3つの謎の小部屋が存在しており、この部屋は何の目的で使用されていたのかは未だに謎となっています。
本殿の中央部分には、6つの覆屋(おおいや/=小さな社殿)が並んでおり、その周囲が板壁で囲まれています。前面はこれらの6つの覆屋が見えるように吹き放ちになっていますが、この6つの覆屋の背面が板壁となり、その向こう側に板壁で囲われた3つの小部屋があります。
ただ、実のところこの6基の覆屋が並んだ中央部のみ、階段4段分ほど高くなっており、さらにこれらの小部屋には「開かずの板扉」が据えられていることから、これはたとえ高潮が起きたとしても覆屋への浸水を防ぐための対策だと考えられます。
もしくは他に次のような理由も考えられます。
- 可能な限り外界の穢れ(けがれ)の侵入を遮断する目的
- 平清盛が神を祀った新たな寝殿造りの様式を打ち立てて、このような小部屋を設けた
厳島神社・本殿「幣殿」
建築様式(造り)
- 両下造
- 一重
屋根の造り
- 檜皮葺
大きさ
- 桁行一間(横幅:約2m)
- 梁間一間(奥行き:約2m)
本殿の「幣殿(へいでん)」とは、幣帛(へいはく/お供え物)を供進する殿舎であり、拝殿と本殿との間に位置します。
通常の神社建築であれば本殿の前に拝殿を配するのが通例ですが、厳島神社の場合は間に「幣殿」が配されています。
厳島神社で現在も幣殿でお供え物が供進されているのかは不明ですが、一般的な神社であれば「祭祀(儀式)」のための場として使用されることが多いです。
厳島神社・本殿「拝殿」
建築様式(造り)
- 入母屋造
- 平入
- 一重
- 両端すがる破風付
屋根の造り
- 檜皮葺
大きさ
- 桁行十間(横幅:約20m)
- 梁間三間(奥行き:約6m)
本殿の拝殿は、本殿の母屋部分の前面に位置し、この拝殿では神前挙式(結婚式)が執り行われることもある神聖な空間です。
拝殿の大きな特徴・見どころ
「二棟造り」「三棟造り」
厳島神社の拝殿の天井部分は「化粧屋根裏(けしょうやねうら)」と呼ばれる天井がない、屋根の裏側が見えるような造りをしており、「二棟造り」もしくは「三棟造り」と呼ばれる他では、なかなか見ることができない複雑な建築様式で建てられています。
これは拝殿の大屋根の棟の下にさらに2つの屋根があるような造りになっていることから「二棟造り」、もしくは大屋根と合わせて合計で3つの棟になることから「三棟(みつむね)」などと呼ばれています。
このような大屋根の下にさらに天井を2つも設ける理由は、貴族の邸宅を意識して造られたからであり、装飾目的になります。
↑厳島神社の拝殿の天井部分(屋根が奥と手前で2つある。2つ屋根の上には大屋根が覆う)
事実、従来の厳島神社では「拝殿」を「三棟」とも呼称していたようです。
厳島神社は寝殿造りの社殿であるため、造りが少し複雑になっているように見えますが、本殿の前にはよく見ると空間があるのに気付きます。
その空間の向こう側に拝殿があり、これが私たち参拝者がお賽銭を納めて手を合わせお祈りする場所となります。
厳島神社の境内は海上に造営されているために限られたスペースに社殿群を造営する必要性があるため、一般的な神社の境内とは異なり割合、密集されて社殿が造営されています。
廻縁に穴が空いている!
「廻縁」とは「まわりえん」と読み、これは天井や床などの隅っこ(端)に設ける化粧材(装飾目的の建築部材のこと)になります。
廻縁は普通の住居でも用いられますが、厳島神社の廻縁は少し特徴的であり、ぬぅあんと!廻縁に穴が空けられて海面まで貫通しています。
これには理由があって、高潮の時などに海水が床上に上がってくることを想定して、その海水を再び海へ落とすために設けられているものです。
ちなみにこのような廻縁は拝殿と祓殿の床の隅っこにのみ設けられています。
拝殿は左右非対称!
少し分かりにくいのですが、拝殿を遠目から正面に見た場合、左右の長さが非対称になっています。
これは拝殿の向かって左側には小部屋があるためであり、はたまた厳島神社の本殿自体が向かって右側に中心軸がズレているためです。
厳島神社・本殿「祓殿」
建築様式(造り)
- 入母屋造
- 妻入
- 一重
- 背面の大屋根と接続
屋根の造り
- 檜皮葺
- 折上小組み格天井
大きさ
- 桁行六間(横幅:約12m)
- 梁間三間(奥行き:約6m)
祓殿とは「はらえどの」と読み、神社における位置づけとしては、お祓いを受ける殿舎です。清盛公が創建した当初は「舞殿(まいどの)」と呼称されていました。
舞殿とは、舞楽を奏じたりする場所を指します。一般的には「
上掲の写真をご覧になれば分かる通り、祓殿は一段上がっている上、四辺に高欄(こうらん/手すり)が配されており、さながら神楽を舞うような舞台のようにも見えます。
厳島神社の祓殿は「拝殿」の前面に位置し「高舞台」と「回廊」に挟まれる格好で位置しています。
つまり、本殿のもっとも前面に位置していることになり、一般的に厳島神社の本殿を海側から撮影した場合は「祓殿」が写っていることになります。
祓殿は、雨天時の舞楽の奉納にも使用されています。
祓殿の大きな特徴・見どころ
蟇股
祓殿の大きな特徴は天井下の蟇股(かえるまた)です。祓殿の蟇股をよく見れば中央部に継ぎ目があるのが視認できます。
現在の蟇股は中央部に継ぎ目などなく、1本の木から造る一木造り(いちぼくづくり)で造られています。
これは蟇股というものが概ね鎌倉時代を境に現在のような一木造りへ造り変えられたからです。それ以前の平安時代では別木でそれぞれ造られて中央部で拝み合せて繋げるといった手法が取られていました。
ちなみに厳島神社の別木で造られた蟇股は日本全国に4例しかないと云われています。
板壁
上記、祓殿の蟇股の奥には白壁(しらかべ)が張られています。これは一見すると板壁には見えませんが、間近で見るとお鍋の底のように凸凹(でこぼこ)があるのに気づきます。
これは「ヤリガンナ」もしくは「チョウナ」と呼ばれる建具を用いて削られて造形された痕跡になります。また、板壁である証拠となります。
なお、神社の壁は基本的に板壁にすることが原則とされています。
床板
祓殿の床板は、見渡す一面、綺麗ぃ〜な!平面で整えられていますが、これは舞楽を奉奏するために途中でつまづかないように配慮されているからです。
ただ、厳島神社は海上に社殿が建っていますので、高潮の時は床下から海水に押し上げられて、これではヒックリ返ってしまいます。
そこで通例であれば床を敷き詰める際に1㎝から2㎝ほど間をあけて、水没覚悟で床下から押し上げてくる海水を床上へ逃します。
しかし、この祓殿では舞楽が奉奏されますので、床に隙間をあけることはできません。
それではどうするのか?
実は、この祓殿のすべての床板は固定されずに木組みの上に乗っているだけになります。すなわち、高潮で海面が上昇してくると床板が簡単に浮かぶ仕組みになっています。
押さえつけてヒックリ返ってしまうよりは、水没覚悟で床上に海水を逃した方が無難というワケです。
波や風に強い!?厳島神社「本殿・拝殿」の建築の特徴
宮島は古来、神が宿る神聖な島とされ、建物を建てるのがはばかられたため、厳島神社の社殿は海上に造営されたと言われています。
しかし、海上に建てられることによって、激しい波や風雨の影響を、常に受け続けることになります。
このため、厳島神社の社殿には、波や風雨による建物へのダメージを小さくするための工夫がなされています。
例えば、厳島神社の本殿や拝殿は、左右対称の造りとはなっていません。
これは、1つの方向からの波風の強い圧力を1か所に集めず、分散させ、建物全体で支え合えるようにするためです。
また、波風による衝撃を上手に逃がすため、社殿の柱が丸くなっているのも、厳島神社の本殿・拝殿の特徴の1つです。
厳島神社は、建物の構造をただ頑丈にして自然に立ち向かうのでなく、波や風雨の力に逆らわずに自然と共存することで、800年以上に渡って維持されてきたのです。
【補足】厳島神社にも神宮(伊勢)と同じく「外宮と内宮」があった!!
あまり知られていませんが、実は厳島神社にも外宮と内宮が存在します。
外宮と内宮の区分けは以下のようになります。
- 厳島神社の「内宮」⇒「厳島神社の境内そのもの」
- 厳島神社の「外宮」⇒本土(対岸)に位置する「地御前神社(じごぜんじんじゃ)」
- 厳島神社の「奥宮」⇒宮島の山頂付近に位置する「御山神社(みやまじんじゃ)」
外宮と内宮があるから何かが変わるとか、参拝方法が変わるとかと言うわけではありませんが、地元・広島においては「厳島神社の正しい参拝の順番」と言うものがあるようです。
基本的に「外宮⇒ 内宮⇒ 奥宮」と言う流れで参拝するのが厳島神社における正式な参拝方法と云われているようです。
ただし、必ずこの通りに参拝しなければならないと言ったことはないようです。
しかし、せっかく宮島に訪れたのであれば時間が許せる範囲で、上記の順番で参拝してみるのも良いですね。
厳島神社・御本殿の場所(地図)
厳島神社の御本殿は境内の中央に位置します。本殿の拝殿ではお守りや御神札(お札)、御朱印のほか、縁起物などを授与しています。
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