宮島・厳島神社「朝坐屋」【重要文化財】
創建年
- 不明
- 593年(推古天皇元年)から1168年(仁安3年)※平安時代
再建年
- 1615年(慶長20年)から1660年(万治3年)・江戸時代初期から中期
- 2006年(平成18年)
- 2022年2月~2023年2月末(予定) 修復工事
建築様式(造り)
- 右側面・切妻造
- 左側面・入母屋造
- 一重
屋根の造り
- 檜皮葺
大きさ
- 桁行八間(横幅:約16m)
- 梁間四間(奥行:約8m)
重要文化財指定年月日
- 1899年(明治32年)4月5日
厳島神社「朝坐屋」の読み方
「朝坐屋」は「あさざや」と読みます。
現代においては「朝”座”屋」とも表記されます。
厳島神社「朝坐屋」の歴史・由来
厳島神社の朝坐屋は、平清盛によって実施された1168年(仁安3年)の大造営の際の記録に”朝坐屋”の記述が見つかったことから、1168年以前の建築であることが判明しています。
一説では、創建当初から存在していたとも云われておりますが定かではありません。
ただ、朝坐屋の建つ位置が陸地付近に位置する事から「創建当初から当地に存在した」と言う説は極めて濃厚であると言う見方もできます。
建築様式を見る限りでは厳島神社の社殿群と遜色がなく、平安期の建築様式を伝えていますが、現在見ることのできる朝坐屋の姿は、江戸時代の1615年から1660年の間に再建された時のものです。
その後、現代に至っては1899年4月5日(明治32年4月5日)に重要文化財に登録されています。
尚、2006年(平成18年)には台風18号の影響によって建物の塗装が剥がれたり、建具の強度が脅かされた経緯から、厳島神社の社殿群全体において修繕がなされています。
厳島神社の朝坐屋の役割
朝坐屋の「朝坐」とは「朝座」とも読め、「朝座」とは貴人が休憩する座所としての役割があります。
その他、仏教における「朝座(朝課)」「夕座(晩課)」と言われる法会のことも「朝座」と言います。
この法会では8座設けて「法華経8巻」を8座に1巻ずつに分けて、読経したり説法を説く「お勤め」を行います。
実際に厳島神社でこのような法会が執り行われていたのかは不明ですが、古文書による過去の記録では、江戸時代に「神職の会議」や「重要な会議」の場として使用されており、以降、昭和30年の後半から昭和40年初頭までは「厳島神社の社務所」としても利用されていたようです。
その他、現在では厳島神社での舞台での「舞楽」や「コンサート」時の「控え室」や「準備室」として利用されたりもしています。
朝坐屋の建築様式(造り)
この朝坐屋を離れて見れば、屋根が本を真ん中で見開いた「切妻造り(きりつまづくり)」のように見えますが、屋根の形状をよく見ると、緩やかに前後に伸びて平べったい屋根になっています。
これは「切妻造り」ではなく、「両流造(りょうながれづくり)」と呼ばれる屋根の造りとなり、本殿と同様の造りとなります。
両流造りの大きな特徴としては、殿舎の屋根が前後にわたって「への字型」に大きく伸びています。
厳島神社・朝坐屋の場所(地図)
厳島神社・朝坐屋の場所は境内の東回廊から「不明門」(陸側)へ向かった先にあります。
東回廊を進み、本殿の左脇に位置します。
これは余談ですが、朝坐屋の前には「厳島八景」のうちの1つとなる「鏡の池」と呼称する”池”ががあります。ぜひ、見つけてみてください。ウフフ
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