宮島・大願寺の御朱印・御朱印帳の種類と境内見どころ・仏像一覧をご紹介!

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宮島・大願寺の御朱印・御朱印帳の種類と境内見どころ・仏像一覧をご紹介!

創建年

  • 不明
  • 推定:794年(延暦13年)から1185年(文治元年)/平安時代
再建年

  • 推定:1201年~1203年(建仁年間/鎌倉時代)
山号

  • 亀居山
宗派

  • 高野山真言宗
本尊

  • 木造薬師如来像
札所番号

  • 中国四十九薬師霊場22番
  • 広島新四国八十八ヶ所霊場1番
発願者

  • 不明
  • 推定:弘法大師・空海

宮島・大願寺の読み方

仏像やお堂には、難しい漢字の羅列で表記されており、読みにくいですが、大願寺は「だいがんじ」と読みます。

「大願寺」と言う名前の寺院は日本各地に存在しますが、宮島・大願寺の正式名は「亀居山 方光院 大願寺ききょざん ほうこういん だいがんじ)」と呼称します。

ちなみに「亀居山」というのは、千畳閣と五重塔が建つ小高い丘・「塔の岡」の旧称だと云われています。

大願寺の「大願」の意味

大願寺の「大願」とは「厳島神社を守護する」という大願を意味するようです。

宮島・大願寺の歴史・由来

宮島・大願寺の創建は不明となっており発願者も不明となっていますが、宮島と縁の深かった弘法大師・空海により800年代(平安時代)に創建されたと伝えられています。

その他の説としては、1201年から1203年の鎌倉時代に僧侶の了海(りょうかい)によって開かれたとも云われます。

厳島神社の北側に位置し、五重塔や豊国神社の本殿が並ぶ「塔の岡」から多宝塔・清盛塚(経の尾)あたりまでの一帯は、古来、お堂が多数立ち並ぶ一大伽藍が形成されており、これら一帯を総称して「厳島伽藍」と呼ばれていました。

厳島神社の修理を担当した寺院

室町時代の大願寺は厳島伽藍の中核を成す寺院として、厳島神社の修造や造営の一切を担っていた歴史があり、卓越した腕を持つ「鍛冶職人や大工、檜皮師」と言った職人集団を組織していました。

大願寺の職人集団は腕利きとして知られ、「筥崎八幡宮」や「宇佐八幡宮」の修造・造営も行うほどでした。

大願寺が厳島神社の修理を行った理由

厳島神社は朝廷(国家)が認めた「一宮」の社格を持つ神社でしたので、国家鎮護の神社として各時代の権力者が庇護しました。しかし、鎌倉幕府が倒れて室町時代後期(戦国時代)になると幕府の権威が失墜し、各地で戦争が勃発します。

その結果、参拝者や崇敬者からの浄財を頼みの綱とするしかなく、社殿群の維持管理を行うことになりますが、それでも資金が足りません。

そこで大願寺の住職が日本全国の有力者たちに呼びかけて勧進活動を行って浄財を集めたり、はまたま職人たちにも積極的に声をかけています。

この住職たちの働きにより、明治維新(1867年/慶応3年)頃まで、大願寺が厳島神社の社殿群の維持管理を一手に担う形式へ推移していきます。

明治時代より維持管理をしなくなった理由は、明治初頭に政府によって発令された神仏分離令によってお寺と神社が切り離されたからです。

以来、独立した寺院としての歴史を歩むこととなり、現在に至ります。

宮島・大願寺の御朱印の種類・初穂料(値段)

実は宮島・大願寺でも御朱印をいただくことができます。種類は1種類のみとなります。

特徴としては、御朱印の右上に「日本三弁天 厳島弁財天」の押印がされ、中央に大きく「厳島弁才天」の墨書きがあります。

さらにその墨書きの下には、大願寺の寺紋である「三つ盛り亀甲紋」の朱印が押印されています。

  • 御朱印のお布施(値段):300円

宮島・大願寺の御朱印がもらえる場所(御朱印授与場所)・受付時間

御朱印の授与場所

境内本堂前もしくは護摩堂を正面に見て左脇にある御朱印授与所

授与時間(受付時間)

8時30分から17時まで(元日は0時から18時頃まで)

大願寺の御朱印帳(御朱印帳袋)の種類やサイズ・値段

大願寺の御朱印授与所では御朱印帳と御朱印帳袋も授与しています。双方とも種類は1種類のみで紫、赤、黄色の3色あります。

御朱印帳のサイズ・値段
  • サイズ:ヨコ12㎝×タテ18㎝
  • 値段:1300円
御朱印帳袋の値段
  • 値段:2500円

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宮島・大願寺境内の見どころ

大願寺・本堂

  • 再建年:1815年(文化12年)

一見すると護摩堂の方が目立っているため、護摩堂が本堂のように見えますが、実はこの建物が本堂です。

本堂は江戸時代となる文化12年(1815年)に造営された約200年前のものです。

大願寺の本堂の最大に特徴はなんと!部屋数が17つもあることです。客殿・仏間・庫裡(台所)・方丈(居間)が混在した稀有な建造物であり、全国屈指の規模です。創建当初は書院が1つ、別の場所に建てられていたようです。

正面から見て左半分は畳敷きの方丈になっており、日本最大の方丈とも云われます。

本堂には下記のような見どころのほか、御本尊の秘仏「八臂弁才天像(厳島弁財天像)」が安置されています。

錦帯橋の模型

大願寺の見どころの1つに他の寺院ではなかなかお目にかかれないものがあります。

なんだかお分かりになりますか?

・・正解は「錦帯橋(きんたいきょう)」の模型です。

この模型は本堂の長押の上もしくは軒下(天井付近)に引っ掛けられる形で飾り付けられています。

ここで少し質問を変えて・・この錦帯橋はドコにある橋かお分かりになりますか?

少し考えてみてください。

・・

・・

・・残念無念!正解は「山口県岩国市」です。

↑実物の錦帯橋

この錦帯橋は現物の25分の1のサイズの模型になるようで、1900年にフランスのパリで開催された「パリ万国博覧会」に出展されるために造られた模型です。

錦帯橋の大きな特徴であるアーチ型が見事なまでに再現されています。

ちなみにこの錦帯橋は1673年(延宝元年/江戸時代)に架橋された橋であり、現在の錦帯橋は2004年(平成16年)に建てられた橋です。

江戸時代に建てられた橋は1950年(昭和25年)に発生したキジア台風(台風29号)の影響により倒壊しています。つまりは創建当初の錦帯橋の姿を留めた貴重な模型となり、なんとぉ!現在の錦帯橋が再建された際、モデルとして使用されたとのことです。

宮島・大願寺「なで仏(賓頭盧尊者坐像)」

宮島・大願寺の境内は広くはありませんが、パワースポットと呼べる場所があります。

そのパワースポットとなるのが「なで仏」です。

”なで仏”の正式名は「びんずる尊者」と呼称される仏像のことで、身体の痛い箇所を、なでると治りが早いといわれ、はたまた仕事でよく使う手や足などの箇所を、なでると疲れにくくなると云われています。

書院

本堂の奥にはかつて書院がありましたが、この書院にはちょっとした由緒があります。

なんでも1866年(慶応2年)に第二次長州戦争の折、幕府側の使者である勝海舟(かつかいしゅう)と長州藩の藩士である広澤真臣(ひろさわさねおみ)、木戸孝允(きどたかよし)らが会談を行ったとされる場所だからです。

宮島・大願寺「九本松」【廿日市市天然記念物】

大願寺の境内に入ると、9本の松の木が目に付きます。

ただ、この松の木をよく見れば分かりますが実際は9本ではなく、幹は1つなので、実際には1本の松の木です。

離れて見ればまるでヤマタノオロチのようにも見えます。

この松の木にはちょっとした由来があって、何でもあの総理大臣で有名な「伊藤博文」が手植えした松の木だそうです。

伊藤博文が存命だった時代は明治時代なので樹齢は軽く100年以上はあると思われます。

大願寺・九本松

  • 樹高:約18m
  • 大きさ(樹張面積):東西9m、南北8m
  • 種類:黒松(クロマツ)
  • 廿日市市天然記念物指定年月日:1973年(昭和48年)3月1日3月1日

厳島龍神

大願寺の仁王門をくぐるとすぐ視界に入ってくるが護摩堂ですが、その手前に大きな石ころと庭園のように水堀に囲まれた中央に小さな覆屋(おおいや)風の社が見えます。

この小さな社の正体は「厳島龍神」と呼ばれる龍神を祭祀する社、つまりのところ神社になります。ウフ

龍神とは、読んで字のごとく、龍の姿をした神様なのですが、一説では弁天の化身もしくは、弁天の眷属(けんぞく)や神使(しんし)であったという説もあります。

日本においての龍神は水神とされ、火難除けの神様として、はたまた弁天絡みのご利益として開運の象徴としても捉えられています。

厳島弁天も弁財天なので財運や蓄財のご利益があります。双方合わせて参拝すれば金運財運面においてのご利益倍増が望めるのでは?ぜひ!

⬆️厳島弁天を真後ろから見た外観。なにやら石碑のようなものが収められている様子が確認できる

⬆️正月限定?水堀の掃除をしている姿も見られる

宮島・大願寺「護摩堂」

  • 法要日:毎月28日(護摩祈祷)

かつて大願寺には「護摩堂」と呼称されるお堂が建っていましたが、明治時代の初頭の神仏分離令によって損失しそのまま再建されずに放置状態でした。

しかし、2006年(平成18年)4月2日に約140年経て、ようやく再建が成っています。

⬆️大願寺・護摩堂

時を同じくして内部に安置される御本尊「不動明王」の開眼供養も執り行われています。

護摩堂の建築様式(造り)

この護摩堂は二層宝形造りです。使用されている材質は国内産の欅(ケヤキ)、松、能登産のヒノキになります。

二層目の虫籠窓(むしこまど)の形状が特徴的で目を引きます。

護摩堂の堂舎の特徴

護摩堂の堂舎の特徴としては、天井部分が吹き抜けになっており、桔木丸太(はねぎまるた)が数本、組み込まれています。

桔木を組み入れることによって垂木は本来の屋根の荷重を受ける働きを失い、装飾的な意味合いが強くなります。

荘厳かつ威容感ただよう堂舎です。

護摩堂内部に安置される御本尊「不動明王像」

  • 像高:4m80㎝(実寸は約4m)
  • 像容:半跏座像
  • 重量:約6t

この護摩堂の中にはなんとぉぅっ!坐像姿で約4mもの像高を持つ巨大な不動明王坐像が安置されています。別名では「厳島大仏」とも呼ばれ古来、篤い崇敬が寄せられています。ウフ

材質としては、入手困難かつ、最高級とも云われるインド産の「香木・白檀(びゃくだん)」を約20tも使用して造立ています。

インドから日本へ届くまでに約7年間も要し、さらにその上、完成までにそこから約7年もの歳月を要しています。

仏師は、大仏師・松本明慶氏で大きさは高さ4m、重さ約6tもの巨大な仏像となります。

護摩堂脇にある手水鉢

御朱印授与所の前、もしくは護摩堂を正面に見て左脇には、意匠の趣が感じられる手水鉢が置かれています。かつて境内に植わっていた樹木の切り株を利用して、竹筒を組み合わせて竹筒の先端から水が落ちるようになっています。

現在は利用されていないようですが、何気に視界に入ってきますので、ぜひ、ご覧になってみてください。

幻の「住吉神社」?!

実は、かつてこの護摩堂のあたりにもう1つ、「住吉神社」という割と大きな神社が建っていました。ちょうどこの護摩堂のあたりです。この様子は江戸時代に浅野家に仕えた岡田清の手により編纂された「厳島図絵」にも描かれています。

しかし明治時代末期に完全に取り壊され、その名残も残されていません。

小松内大臣 平重盛公の御手植松

現在は見る影もありませんが、この巨大な朽木はなんとぉぅ!かつて平重盛公が植栽したと伝えられる御手植えの松の木だったそうです。

現在は枯れてしまってしまって、このような姿に成り果てていますが、かつては天を覆い隠すほどの、さぞかし雄大な松の木だったことでしょう。

平重盛公が松を植えた理由

平重盛公が松を植えた理由は、この大願寺へ参拝された折、厳島弁財天の霊験あらたかな御神徳に心底感服し、平家の興隆と平家一門の統治による国家安寧を祈念して植栽した松になるとのことです。

平和観音

広島県や長崎県は世界でも例がない原爆が投下された県です。真新しい石造りの像容からして、今後、二度と嘆かわしいできごとが起こらないようにと、祈念を込めて造立された仏像のように思われます。

平和観音の手前にある手水鉢は少し意匠がにじみ出た手水鉢です。竹のような水道管を曲げてそれを固定する形で手水鉢へ括り付けています。茶室の庭先で見られそうな意匠じみた趣が感じられます。

子育て地蔵・水子地蔵

大願寺の境内には子育て地蔵・水子地蔵と呼ばれるお地蔵さんもお祀りされています。

いずれも子供の健やかな成長を守護するご利益をもつお地蔵さんになります。

現在、子育て中の方やお子さんの健やかな成長を祈念する方はぜひ!手を合わせておきましょう!

大願寺の狛犬

通常、神社の境内で多く見られるような狛犬像が、ぬぅあんとぉぅ!この大願寺には2匹もいます。阿形の狛犬像と吽形の狛犬像の2匹セットです。

昔の神仏習合の名残りをヒッソリと今に伝える狛犬像です。

大願寺・仁王門(楼門)

  • 創建年:江戸時代

厳島神社の出口(西回廊)から出ると正面に大願寺の顔とも呼べるべき仁王門(楼門)が見えます。

この楼門はかつては道路側が正面でした。すなわち現在の宝物館と正対していたワケです。この様相は「厳島図絵」と呼ばれる古文書にも描かれています。

現在は正面が厳島神社の出口となる西回廊の出口部分と正対しています。

これは道路工事の影響で向きが変更されたからです。

それと、仁王像に注目がいくあまり、上部には目がいきませんが、よく見ると楼門造りの門になります。

このような楼門や二重門を出入口にそなえる寺社は、それなりの格式があり、許可を得た寺社がもつことが許されたという話があるほど重要な位置付けの門です。

実は広島藩において楼門を持つことが許されたのは宮島では大聖院と大願寺のみで、ほかは広島市の福王寺と尾道の西国寺の2寺くらいです。

現在、この楼門の左右に間口には仁王像が安置されていますが、実のところ創建当初は仁王像はなく、明治時代以降に仁王像を安置するために間口が増築されています。

大願寺・仁王門(楼門)の仁王像

大願寺の仁王門(楼門)の左右には名前の通り、阿吽の仁王像が配されています。

⬆️向かい見て左側の仁王像

⬆️向かい見て右側の仁王像

この2躯の仁王像はかつては厳島神社の仁王門に安置されていた仁王像になります。厳島神社の仁王門とは現在の宮島桟橋の正面に見える高台にあったとされています。現在は跡地して残っています。

厳島神社の仁王門は明治政府が発布した神仏分離令により、破壊され、代わりに上述したように、大願寺の楼門へ安置されることになります。その際、仁王像が安置できるように初層部が改造されています。

これが現在、この門が「仁王門」と呼ばれる理由であり、一方で「楼門」と呼ばれる理由でもあります。


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宮島・大願寺の仏像一覧

宮島・大願寺「八臂弁才天像(厳島弁財天像)」【秘仏】【日本三大弁才天】

大願寺の本尊「厳島弁才天像(八臂弁才天像)」は、明治初頭の神仏分離令が公布される以前の時代では、厳島神社の主祭神「市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)」と習合し、厳島神社の本尊もしくは主祭神として厳島神社の境内で祀られていました。

詳しくは、本殿の他の御祭神と一緒に6つある覆屋(おおいや)の向かって一番左側に祀られていたようです。

現在では「日本三大弁天」として多大な崇敬を集めており、毎年6月10日には日本三大弁天を祀る大祭である「三社弁才天祭」にて分霊が遷され、その開催場所となる竹生島神社にて盛大な祭典が執り行われています。

日本三大弁天像

  1. 江島神社 (神奈川県・江の島)
  2. 竹生島神社(滋賀県・竹生島)
  3. 厳島神社 (広島県・厳島)

この三大弁天の中でも厳島神社は安芸一宮の社格を持っていますので、最上格の神社です。つまり、この大願寺に祀られている弁財天像は日本一の弁財天像ということになります。

厳島弁財天像の特徴

八臂弁才天の「八臂」とは「はっぴ」と読み、これは腕が8本ある仏像のことを指します。

厳島神社の弁才天像はまさしく腕が8本の「八臂像」であり、「宝弓・宝箭(矢)・宝刀・矛(ほこ)・斧・長杵・鉄輪・羂索(けんさく/手錠付きの紐)」などの武器をそれぞれの腕に持っています。このような像容からして通例の見目麗しき弁財天像ではないことが分かります。

また、弁才天は「弁財天」とも書き、これは弁才天の財や福をもたらすご利益が由来になっています。

このような「弁才天信仰」は、およそ奈良時代から平安時代初期に広まり、この頃、多数の弁才天像が造立されています。厳島弁才天の造立もこの頃の造立であると考えられています。

厳島弁才天は大願寺の本堂に安置されており、通常、一般参拝者が目にすることは叶いません。

理由は、「秘仏」として「厨子(ずし)」と呼称される「前扉付きの入れ物」の中にて大切に安置されているからです。

「厳島弁財天大祭」

例年、6月17日に大願寺では厳島弁財天像に由来した「厳島弁財天大祭」と呼称される祭典が行われています。

この祭典では秘仏である「厳島弁才天」の逗子の扉が開扉され、ご尊容を拝することができます。すなわち御開帳です。

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ちなみに、かつてこの弁財天像は厳島神社の御本社の本殿で祀られていましたので、一般人は一切見れなかったワケです。たった年に1度きりですが、このように観れるだけでも、現代という時代の到来に感謝の念を捧げたいところです。ウフ

厳島弁財天大祭の日程・開催時間

  • 6月17日
  • 開催時間: 10時~16時or17時まで( 法要13時~)

この他、境内ではこの厳島弁財天に因んだ「美守」というお守りも授与されています。

ご利益は、弁天様のような美人になれるようにとの願いが込められています。

宮島・大願寺「木造薬師如来坐像」【重要文化財】

※本堂は撮影禁止です(写真はお借りしたものです)

造立年

  • 不明
  • 推定:794年(延暦13年)から1185年(文治元年)/平安時代
像高

  • 約50cm
重要文化財指定年月日

  • 1899年8月1日(明治32年8月1日)
作者

  • 弘法大師・空海

宮島・大願寺が誇る仏像の1つに「薬師如来像」があります。

大願寺の薬師如来像は宮島最古と云われており、1899年に国指定の重要文化財に登録されています。

一説では、この薬師如来像は弘法大師・空海によって彫られた手彫りの仏像だという説も残されています。

大願寺のその他の仏像一覧

※本堂は撮影禁止です(写真はお借りしたものです)

  • 御本尊・八臂弁才天像
  • 脇侍:阿弥陀如来像
  • 脇侍:如意輪観音像
  • 木造薬師如来像
  • 木造釈迦如来坐像(千畳閣の本尊)
  • 阿難尊者像(千畳閣の脇侍)
  • 迦葉尊者像(千畳閣の脇侍)
  • 釈迦如来坐像(五重塔の本尊)
  • 文殊菩薩(五重塔の脇侍)
  • 普賢菩薩(五重塔の脇侍)
  • 薬師如来像(多宝塔の本尊)

これらの仏像はかつては、島内の各所に安置されていましたが、神仏分離令の影響により、この大願寺に集められる形で移管されています。かつてはこれらの仏を拝するために島内を巡拝したようですが、現在ではこのように大願寺の境内にて、まとめて拝することができるようになっています。

こんなに楽をしすぎてはたして願いが叶うのか・・と思いつつも、とりあえず静かに手を合わせてみてください。フホっ

えぇっ?!明治時代に厳島神社はなくなっていたかも知れない?!

あまり知られていないようですが、上述、明治の神仏分離令が発令された後、政府から厳島神社へ高官が派遣されて境内を確認をしにきたそうです。

そしてその高官は厳島神社の境内を見るなりこう言ったそうです。

「神社なのか寺院なのかが分からないが、仏教様式が強すぎるっ!全部、焼き払ってとり壊せ!」

と。

それを聞いて腰を抜かすほど驚いた厳島神社の当時の棚守(たなもり=神主もしくは宮司の職務に就いた人のこと)であった野坂元延(のざかもとのぶ)は急ぎ上京して、明治政府へ直々に取り壊しの中止を願い出ます。

取り壊しをお願いするということは、政府の発令した命令に逆らうことです。

そんな背景があり、野坂棚守は死を覚悟して家族と別れの盃(さかずき)を酌み交わして旅立ったそうです。

この結果、厳島神社のこれまでの歴史や社殿群の重要度を重くみた政府が折れる形になり、「仏教色を払う」という条件付きで高官が発した取り壊し命令を取り下げています。

これにより、厳島神社の本社・本殿で祀られていた日本一とも言われる「弁財天像」は海に流されることはなくなり、代わりに大願寺の本堂へ移管されることになります。これが今日、大願寺の本堂で厳島神社の弁財天像が祀られている理由であり、経緯になります。

以上、まとめると今日厳島神社が現存しているのは、この野坂元延氏のおかげだといっても過言ではないということです。ウフ

宮島・大願寺の「拝観料金・拝観可能時間(営業時間)・拝観所要時間・定休日」

拝観料金

  • 無料
拝観可能時間(営業時間)

  • 8時30分から17時まで
  • 元旦:0時から18時頃まで
拝観所要時間(滞在時間)

  • 約20分ほど
定休日

  • なし(年中無休)

宮島・大願寺の場所(地図)・アクセス

大願寺は厳島神社の境内出口となる西回廊から出て目の前に位置します。

  • 厳島神社出口(西回廊)から徒歩約30秒

宮島・大願寺のお問い合わせ先「住所・電話番号」

  • 住所:〒739-0588 廿日市市 宮島町3番地
  • TEL:0829-44-0179
  • FAX:0829-44-0272
  • 境内設備:公衆トイレ有り
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