宮島・弥山「大日堂(大聖院)」

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宮島・弥山「大日堂(大聖院)」

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創建年

  • 不明
  • 推定説1:806年(大同元年/平安時代)
  • 推定説2:1300年以前(正安2年)
再建年

  • 1376年(永和2年/室町時代)
  • 1591年(永正16年/安土桃山時代・戦国時代)
  • 1599年(慶長4年/安土桃山時代)
建築様式(造り)

  • 三間方形造り
    ※四面庇付き
屋根の造り

  • 銅葺き
御本尊

  • 不動明王
  • 大日如来(脇侍)

弥山・大日堂の読み方

御本尊やお堂には難しい漢字の表記で読みにくい名前のものがありますが、大日堂は「だいにちどう」と読みます。


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弥山・大日堂の歴史・由来

かつて弥山に存在した弥山水精寺の「核」

弥山大日堂の草創は、806年(大同元年/平安時代)に弘法大師・空海によって修法の道場として造営されたことに始まります。

実は鎌倉時代以降、現在は麓に位置する大聖院(かつての弥山・水精寺)は、この弥山に存在していたようで、弥山全体を伽藍としていたようです。

その水精寺の数ある堂舎の中でも、特にこの大日堂は中核を担う堂舎だったようです。

その後、時代を経る過程において廃れてしまいますが、1376年(永和2年/室町時代)に厳島神社の「神護寺(別当寺)」として復興されています。

ちなみに「神護寺(別当寺)」とは、地域にある複数の神社を総括管理していた寺院を指します。

現在の大日堂は室町時代のもの

1599年(慶長4年/安土桃山時代)に中国地方を支配した戦国大名の毛利輝元によって再建が行われおり、現在見ることのできる姿はこの時の再建によるものとされています。

弥山には堂舎がいくつか存在しますが、現在に至るまで台風19号や火災によってほとんどが損失におよび、比較的近世に再建されています。すなわちこの大日堂は弥山最古の歴史を持つ堂舎となります。

直近では大正時代に大規模な修理が執り行われており、この時にほとんどの部材が新調されているようです。以降、現在に至るまでに複数回にも及ぶ修理が繰り返し行われてきたと推測されますので、従来の姿を留めているのかは定かではありません。

明治時代初頭までは宮島内の僧侶が正月に一同に会し、ここ大日堂へ篭って7日間、国家安泰を祈願して「修正会(しゅしょうえ)」と言う法要を行っていました。

大日堂の建築様式(造り)

大日堂の正面を見れば「ガラス張りの格子扉」や、その脇にハメ込まれた「火灯窓(かとうまど)」などを見るかぎり近代的な建築が感じられます。火灯窓は特徴的な形状からみても察することができるように、ロウソクの灯明をモチーフとして作られた窓であり、概ね扉を挟んで左右に1枚ずつの合計2枚設けられます。

火灯窓が設けられた堂舎には概ね内部に仏像が祀られています。

一方で、平安時代から室町時代に造営されたとされる痕跡もあります。

たとえば堂舎壁面の中備の組物には厳島神社の本殿や奈良法隆寺の堂舎に見られるような平三斗(ひらみつど)で組まれています。堂内に着目して見ると堂舎中央部分に4本の柱で囲いが作られており、屋根に注目してみると東西南北の四面方向に屋根の延長とも言える「庇(ひさし)」が飛び出ているのが視認できます。

図で表すと以下のようになります。

この4本の柱は「四天柱」と呼称し、これは平安時代に流行した「一間四面堂(いっけんしめんどう)」と呼ばれる古式となる建築様式です。

なお、この四天柱は1599年(慶長4年/安土桃山時代)に再建された時に据えられたものであり、上述の平三斗などは1519年(永正16年)に再建された時の古材が使用されているようです。

 

弥山・大日堂の御本尊

かつては本尊として不動明王坐像がお祀りされていましたが、堂舎が台風の被害を受け、安全を期すために現在は麓に位置する「大聖院宝物館」へ遷されて安置されています。

以上のような経緯から、現在に至っては弘法大師・空海が自ら彫ったとされる大日如来像のみがお祀りされています。

ただし、弘法大師・空海は中国・唐からの帰国後は大変な忙しい日々を送っていましたので、実際に大師が手彫りしたのかは定かではありません。

大日堂の「幻の仁王門」

この弥山の地図をマップで見た時に掲載はされていませんが、なんとぉぅ!かつてこの大日堂には仁王門が存在したと云われています。

大日堂の仁王門は1991年(平成3年)まで存在した門であり、江戸時代に編纂された厳島図絵にも掲載されているほどの由緒ある門でした。

しかし、1991年に発生した台風19号の影響によって吹き飛んでしまい、その後、再建されずに解体されて「仁王門跡」として存在しています。

なお、この大日堂の仁王門は御山神社と大日堂の間の山道にあります。現在は仁王門の柱の礎石だけが現存しており、確かに仁王門が存在していた事実を少々痛々しく物語っています。

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