宮島・厳島神社「西回廊・東回廊」【国宝】

スポンサードリンク

宮島・厳島神社「西回廊・東回廊」【国宝】

厳島神社・回廊

東回廊

  • 創建年:1168年(仁安3年)
  • 再建年:1558年~1615年(永禄年間~慶長年間/安土桃山時代)
  • 建築様式(造り):切妻造り
  • 屋根の造り:桧皮葺
  • 全長:85m
  • 回廊の通路の幅:約4m

西回廊

  • 創建年:1168年(仁安3年)
  • 再建年:1558年~1615年(永禄年間~慶長年間/安土桃山時代)
  • 建築様式(造り):切妻造り
  • 屋根の造り:桧皮葺
  • 全長:109m
  • 回廊の通路の幅:約4m
宮島・厳島神社「東西廻廊」の総長

  • 259m
宮島・厳島神社「東西廻廊」の釣灯籠の数

  • 約2mおきに1つ:合計約108個
重要文化財指定年月日

  • 1899年(明治32年)4月5日
国宝指定年月日

  • 1952年(昭和27年)3月29日
発願者

  • 平清盛

宮島・厳島神社「西回廊・東回廊」の歴史・由来

厳島神社の寝殿造りの社殿群を繋げる通路こそが「回廊」です。

回廊は「かいろう」と読み、屈折して造営された「廊下」のことです。

厳島神社の回廊は、御笠浜に造営された厳島神社の境内の東西を繋ぐ重要な通路となります。

創建は1168年(仁安2年)で平清盛の発願によって社殿群と同時に造営されたものです。

厳島神社の東西の回廊は本殿が位置する「寝殿」部分を中心とした「寝殿造り」を構成する主要素であり、東西回廊の総長は275mにも及びます。

浜の入江に沿うような形で造営されているため、歪(いびつ)な屈折を繰り返しつつも、全体の景観の美しさを損なわず東西の社殿群を見事に繋いでいます。

回廊の特徴・見どころ

厳島神社の回廊の床板が二重だった!!

厳島神社へ参拝された際は是非!足元にも注目してみてください。回廊の床板を近くで目を凝らしてみれば二重になっていることに気づきます。

しかし一方で、高欄(手すり)から海側へ向けて突き出ている床板の枚数を見れば、一枚になっています。

つまり高欄の内側に床板だけが二重になっていることになります。

しまったぁ!!厳島神社は本当は土足で歩けなかったのか!!

実は本来、厳島神社の境内は「土足では立ち入ることのできない神聖な場所」なのです。

しかし現在は昇殿する際、靴を脱ぐことはなく、誰でも拝観料さえ払えばそのまま境内へ立ち入ることができます。

これは戦後に参拝者が増加したために採られた対策の一環であり、戦前は参拝者は全員、靴を脱いで用意された藁草履(わらぞうり)に履き替えてから昇殿していました。

床を2枚重ねにする最大の理由は単純に、下側の床が国宝指定を受けているために、急増した参拝者によってもたらされる床板のすり減りを保護しているためです。

つまり、本来の板の上に「養生板(ようじょういた)」を敷くことによって「オリジナルの板(国宝指定の板)」を保護していると言った解釈になります。

「養生板」とは、該当の物の破損を防ぐために「保護する板」と言った意味です。

厳島神社は海上に建立されていることから、常に海風に晒されていますので、社殿群の維持も一般の社寺とは異なり、より困難を極めるものとなります。

従って、潮の影響や海風・波に耐えられるような工夫が必要であり、境内の至る箇所に工夫がほどこされています。

厳島神社の回廊の長さは108間??

厳島神社の回廊は、ちまたの噂話ではよく108間と言われます。この”108”という数字は人間の煩悩の数に比例することになり、厳島神社の回廊を歩くことで煩悩に準ずる穢れ(けがれ)を浄化できるとされています。

しかし実際は厳島神社の回廊の長さは108間ではなく、1間少ない107間となります。だからといって煩悩や穢れを浄化できるないわけではなく、しっかりとお祈りをして日常の生活を改め直すことで諸願成就することができます

回廊の入り口はよく見ると東西で屋根の形が違う??

厳島神社の回廊は東側と西側に出入口が存在しますが、ふと、屋根部分に目をやって形をよく見れば、なんとぉっ!屋根の形状が異なることに気づきます。

これはかつて厳島神社が造営された当初、屋根の形を用いて入口と出口を表現していたからだと考えられています。

  • 西側回廊:唐破風造り(からはふづくり)
  • 東側回廊:切妻造り(きりつまづくり)

ちなみにこの両者の中でもっとも高級な屋根はお分かりになりますか?

ちょっと考えてみてください。

・・

・・

残念無念!ハズレです。正解は「唐破風造り(からはふ)」です!

唐破風造りは単調な切妻造りの屋根に比べて湾曲がある分、造るのに手間がかかります。また、外観もよく見る切妻造りの屋根よりは気品があります。

これは「1465年/室町時代後期」以降、1600年頃(安土桃山時代)までの間に、唐破風造りの屋根を持つ回廊の方が入口であったためです。つまり、西側の回廊がかつて入口だったことになり、これは前述の時代に桟橋(さんばし/船着場)が西側の西の松原付近に存在したためです。

現在の厳島神社は宮島フェリーから降りてきて海岸沿いの道を歩いてきた先に出てくる回廊の出入口が、厳島神社境内への入り口になっています。これがすなわち東側の回廊になります。

かつての「桟橋=船着場」は、逆にあった?!

では1465年以前はどちら側が入口だったのか?ということになりますが、平清盛公が平安時代に再建(創建)した際は、現在の切妻屋根の東側が入口だったようです。

これはつまり現在と出入口の方向が同じということとなり、現在は平安時代の清盛公が創建した頃に入口と出口が戻されたことになります。

しかしここで疑問が出てくるのが、現在の屋根の配置です。

本来、豪華な唐破風屋根が入口に据えられて切妻屋根が出口に据えられるハズです。しかし現在は入口(東側)に切妻屋根、出口に唐破風屋根が据えられいて逆になっています。

これは室町時代の改修の際、屋根が東西で入れ替えられているからです。その後、入口は創建当初の東側に戻されたものの、屋根はそのまま放置されて現在に至るというわけです。

↑東側回廊入口(切妻造り)

↑西側回廊入口(唐破風造り)

かつて西回廊付近は一面が”海”だった??

現在の西回廊の付近には、石垣が積まれて松が植栽され、「西の松原」と銘打って広く知られています。

しかし、清盛公が厳島神社を造営した頃の西回廊の出口付近は、一面が海であったと云われています。

では、なぜ現在のような西の松原のような堤防のような陸地が誕生したのか?

この理由は土石流が原因に挙げられます。

実は1532年から1555年(室町時代/戦国時代)と、1736年から1741年(江戸時代)にこの宮島で大規模な土石流が発生しています。

この土石流によって山からの大量の土砂が海へ向けて流れ込み、海辺となるこの厳島神社のあたりに蓄積されることになります。

直角でない回廊

境内の朝座屋に通じる回廊は朝座屋の手前で直角に折れ曲がっているように見えますが、実は完全な直角ではなく、わずかに角度が広がっています。(鈍角)

厳島神社の回廊は7箇所、このような「枡形(ますがた)」と呼ばれる直角のカーブがありますが、なぜかこの朝座屋手前の回廊のカーブだけ直角ではありません。

これには理由があり、室町時代に客神社および回廊の修理を戦国大名の毛利家が行なった際、技量がある職人が手配できなかったのと資金難が絡み合い、このような鈍角の回廊で再建されてしまったようです。

室町時代以前のこの場所は、管弦祭(かんげんさい)の際、海上に船を浮かべて雅楽が優雅に奏上されていることから、厳島神社内で最高の観覧席であったと云われています。

現に、清盛公の時代は管弦祭を観覧する際、この鈍角回廊のあたりに御座所が設けられていたようです。

平安時代、この場所からみる社殿の景色は、君が笑顔の時のオデコに程よくできたデコじわのように それはそれはさぞかし美しい超ラブリーな景色だったことでしょう。


スポンサードリンク -Sponsored Link-






厳島神社の回廊の含めた社殿群が潮の影響や海風・波に耐えられる理由

【理由その1】床板には釘を使用しない

厳島神社の社殿に施された工夫の1つとして、廻廊の約2メートルおきの「床」には、8枚もの板を「釘」を使用せずに、板と板の間にワザと隙間をあけて組み合わせて設置させています。

釘を使用しない理由は、海水(潮)に含まれる「塩分」によって鉄が錆びてしまうからです。

板と板の隙間を開ける理由は、板と板の間に海水を通すことによって高波を通し、倒壊を防ぐ仕組みになっているからです。

瀬戸内海の潮の流れは読みにくく複雑であり、荒天になれば荒々しい高波や大風が発生することがあります。

まさに「海と言う生き物」をよく知っている先人たちの成せる「職人芸」の1つと言えます。

【理由その2】床板のわずかな隙間

厳島神社に訪れた際、床板を見れば分かりますが、社殿全体の床板にはわずかな隙間があります。

実はこの隙間は失敗してまったわけではなく、わざと設けられたものであり、理由は高潮の際に海水を床上へ逃がして倒壊を回避するためです。

このような高潮は平安時代に清盛公が造営してからわずか4年のうちに発覚したようで、社殿が海上に浮かび上がっていた光景が想像につきます。

この対策として清盛公は床を上げることを考えますが、この時に清盛公に諌めて諌言した臣下や職人がいたと考えられます。

言い換えればこの時、清盛公に諌言した臣下ならびに職人によって、現在の厳島神社全体の景観が守られたことになります。

厳島神社の最大の魅力であり美しさとは、海上に浮かぶ社殿群の景色であり、海面に映る社殿群の姿すら美しいという古来、不動となる定評のことです。

ちょっと、仮に床が高くなった厳島神社の想像してみてください。床下から向こう側の景色がモロに見えきってしまい、おそらくとても”海上に浮かぶ竜宮城”などとは言えないことでしょう。

【理由その3】根継ぎ

厳島神社は海上に造営されている社殿ですので、干潮の時以外、常に床下が海水に浸かっています。

このため陸上の一般的な神社の社殿と比較して、劣化の進行速度は速くすすみます。

しかし、劣化してから再建していたのではしょっちゅう再建することとなり、再建の都度、拝観を中止したり、立ち入り禁止箇所を設けるなどをしなければなりません。

世界遺産にも指定を受けている手前、拝観を頻繁に中止するわけにもいきません。

そこで特に損傷や劣化の激しい床下の脚材に関しては、「根継ぎ(ねつぎ)」という方法が取られています。

根継ぎとは言葉から察することができるように、脚材の中でも特に劣化しやすい地面から近い部分のみを交換する技法です。

すべてを同時に根継ぎしてしまうと、社殿が傾いてしまうので、適度に根接ぎする箇所(場所)を指定して、その箇所のみの脚材のみをノコギリなどで切り取って新しい脚材に交換します。

こうすることで幾度も再建をせずに、常に社殿を参拝客に開放しながら修理と補強が可能になります。

【理由その4】「クソでかい石」を廊下に置く

もう1つ注目しなければならないのが「海風」と「荒波」です。

海は不機嫌になった君(=女性)のような表情を時折、見せることがあり、すなわち台風や強風から派生した荒波が突如として起こります。ウフ

このような強風や荒波にさらされた時、もっとも耐久度が低い廊下や橋梁が不安要素になります。

そこで厳島神社では、強風や荒波が発生した時、もしくは事前に強風や荒波が来襲することが分かった時点で、「非常石(ひじょうせき)」と呼ばれる”クソでかい石”や、頑丈な布袋の中に砂を詰め入れた”土嚢(どのう)”を、廊下や橋梁の上に”重し”として置いています。

”海は生き物”という言葉は漁師だけではなく、漁師以外の我々、一般の間でも広く知られている言葉です。

このように表情をいくつも見せる海を支配するのでなく、共存し、利用していく知恵は先人たちが編み出した類い稀な知恵の結晶であり、偉大な国宝の構成要素の一部であると言えます。

なお、この根継ぎの部分を見たい場合は、干潮時間を狙って厳島神社へ訪れてみてください。新しく根継ぎされた部分は脚材の 色が異なります。

スポンサードリンク -Sponsored Link-

    

当サイトの内容には一部、専門性のある掲載があり、これらは信頼できる情報源を複数参照し確かな情報を掲載しているつもりです。万が一、内容に誤りがございましたらお問い合わせにて承っております。また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。

関連コンテンツ