宮島・厳島神社「平舞台」【国宝】

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宮島・厳島神社「平舞台」【国宝】

宮島・厳島神社「平舞台」【国宝】

創建年

  • 不明
  • 推定:1325年(正中2年)以前の鎌倉時代
再建年

  • 1546年(天文15年)
大きさ(広さ)

  • 面積:167.6坪(約550㎡)
重要文化財指定年月日

  • 1899年(明治32年)4月5日
国宝指定年月日

  • 1952年(昭和27年)3月29日
寄進者(造営者)

  • 棚守房顕(室町時代の厳島神社の宮司)

厳島神社・平舞台の読み方

厳島神社・平舞台は「ひらぶたい」と読みます。

厳島神社の舞台は、「能舞台」「高舞台」「平舞台」とありますが、それぞれ全く違う舞台となります。

しかし、高舞台と平舞台はある意味、セットで考えることもできるため混同してしまいがちになります。

「平舞台」とは?

平舞台とは、高舞台の1段下に位置する広大な木製の舞台を指します。

高舞台と同じく、この平舞台も国宝となっております。

面積は167坪もありますが、これでも舞楽の舞台としては小さい部類に入るといわれています。

「舞台」として有名な観光地に同じ世界遺産の「京都・清水寺」の舞台があります。

清水寺の舞台は面積かなり広く規模で言うと大規模な舞台となりますが、比較して厳島神社の舞台は面積こそはありませんが、海上に設置されていると言う立地柄、大変めずらしい唯一無二の造りの舞台と言えます。

厳島神社・平舞台の歴史・由来・建築様式(造り)

すでにご存知のとおり、この厳島神社は海上に建つために波や風雨によるダメージを受けやすい状況にさらされており、大鳥居および本殿などの建造物には、社殿を守るための様々な工夫がされています。

その工夫は当然、海に向かって伸びるこの平舞台にも用いられており、大きな波が本殿に直撃しないよう、波の衝撃を弱める次のような建築構造が採られています。

【その1】脚元の束石(石の柱)

あまり知られていませんが、厳島神社の平舞台を支える脚元の柱のみ、”束石(石の柱)”が据えられています。

この理由は舞台だけが社殿群から飛び出た位置に造営されていることから、後方を除いた三方が海に面することとなり、したがって脚元に束石を据えることで流されないようにしています。

この束石は「赤間ヶ石(赤間石)」を加工して造成されており、厳島神社が建つ安芸国を支配した戦国武将の毛利元就が寄進したものだと云われています。

「赤間ヶ石(赤間石)」の名前の由来とは、現在の下関市の呼称が「赤間ヶ関」と呼称されていたことに起因しています。その中でも「紅石山」と言う山から採石される石であり、密度が濃いことから堅い石として古来より伝承されています。

ただし、清盛公が創建した頃は、現在のような石の柱ではなく「木の柱」が据えられていたようです。

【その2】床板の筏組み

上述したようにこの平舞台は三方向が海に面していることから、厳島神社の社殿群の中でも特に特徴的な工夫が凝らされています。

その工夫の1つとして「筏組み(いかだぐみ)」と呼称される、床板の1枚1枚をピッタリと敷き詰めるのではなく、あえて間を1㎝ほど開けて敷く技法が採用されています。

宮島・厳島神社「平舞台」【国宝】↑床板1枚1枚の間がわずかに開いているのが視認できる

ちなみに「筏」とは、数本の木の棒をヒモで縛って船に仕立てたあの”イカダ(筏)”のことです。

そしてこのように1㎝わざと開ける理由はなんだかお分かりになりますか?少し考えてみてください。

・・

・・

・・残念無念!違います!

正解は「打ち寄せた波の威力をあえて床上に逃がすため」です。

波の力を床板ですべて受けてしまうと、これでは波の力に支配されてしまいます。詳しくは、波が強ければ強いほどその力をすべてキッチリと敷き詰められた床板全部で受けてしまうことになり、これでは社殿もろともひっくり返ってしまいます。

そこで床板を敷く時にワザと1㎝ほど隙間をあけて床板を1枚1枚、丁寧に敷いていくワケです。

ただし、この筏組みの舞台は上述した赤間石の上に乗っているだけになりますので、荒波や高潮の時には舞台が浮きます。荒波や高潮がおさまったら、都度、点検されて補修されています。

しかし名の通った職人がこの床板を間近で見れば「素人職人の失敗作」だと勘違いし、世界遺産指定の社殿とはとても言い難い状況にもなりますが、このわずか1㎝ほどの隙間が今日、厳島神社が約850年経た現在に至っても存在することのできる重要な理由の1つになっています。

平舞台の見どころ

火焼前

厳島神社の平舞台のもう1つ大きな見所・特徴として大鳥居に向かって伸びるように造られており、この部分を「火焼前(ひたさき)」と呼称します。

現在の平舞台は1546年(天文15年/戦国時代)に厳島神社の神主であった「棚守房顕(たなもりふさあき)」によって造営されたものだと伝わっています。

火焼前が設置された理由は、「船着場」とするためだったようですが、平安時代に清盛公が現在の厳島神社を創建した頃にはなかったようです。つまり、平安時代以降に取り付けられたものになります。

えぇっ?!「火焼前」には別名が存在した?!

実はこの火焼前にはちょっとしたエピソードが残されており、別名で「舌先(したさき)」とも呼称されるようです。

この理由は厳島神社の屈折した回廊や社殿群を「龍の身体」、この平舞台を「龍の顔面」に見立てて、龍が顔面(平舞台)から舌が出ている様子を想像したことからこの名前が付されたようです。

火焼前から見る景色は絶好のフォトジェニックポイント!

「火焼前」立って、大きく深呼吸をすると不思議な力が湧き起こり、心が洗われるような爽快な気分になります。

この「火焼前(ひたさき)」から、おおよそ160m(88間)先に大鳥居が立っています。火焼前から大鳥居をバックにして写真撮影すれば、さぞかし思い出に残る写真が残ることでしょう。

「灯籠」と「狛犬」

平舞台の左右に石造の狛犬と銅造の灯籠が1基ずつと、火焼前の前にも銅造の灯籠が1基、置かれています。これらは江戸時代に奉納されたものであり、つまりは清盛公が平安時代に現在の厳島神社を創建した頃はなかったものです。なお、これら灯籠と狛犬には奉納された年代を示す刻銘や銘文が残されています。

ちなみに火焼前の灯籠には、1670年(寛文10年/江戸時代)と刻まれた刻銘が残されています。

高舞台

高舞台とは平舞台の中央部分に配置された1段高く造られた舞台のことです。

高舞台の詳細は以下の別ページにてご紹介しています。

宮島・厳島神社「高舞台」【国宝】

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