宮島・厳島神社「右楽房・左楽房」【国宝】

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宮島・厳島神社「右楽房・左楽房」【国宝】

右楽房(うがくぼう)・左楽房(さがくぼう)【いずれも国宝】

創建年

  • 1176年(安元2年/平安時代後期)頃から鎌倉時代初頭
再建年

  • 2004年(平成16年)
建築様式(造り)

  • 切妻造り
  • 平入
  • 一重
屋根の造り

  • 桧皮葺(ヒノキ)
重要文化財指定年月日

  • 1899年(明治32年)4月5日
国宝指定年月日

  • 1952年(昭和27年)3月29日
発願者

  • 平清盛

厳島神社「右楽房・左楽房」の読み方

厳島神社の境内には難しい漢字の表記の御祭神や社殿がありますが、揚水橋は「うがくぼう・さがくぼう」と読みます。

厳島神社「右楽房・左楽房」の歴史・由来

「楽房」とは楽器で音楽を演奏する場所のことです。

厳島神社の右楽房・左楽房と共に1176年(安元2年/平安時代後期)から鎌倉時代初頭にかけて平清盛の寄進によって造営されています。

この当時は、平家一門により「千僧供養(せんそうくよう)」が執り行われており、その折に平家一門の繁栄を祈願して造営・奉納されたと伝えられています。

千僧供養とは、仏教形式の法要のことでこの時、約1000人もの僧侶が招かれており、盛大な宴が催されています。

ただし、清盛公が創建した当初は現在のような立派な楽房ではなく、四隅に柱を立ててその各柱の先に大きな布帛(ふはく=布)をくくり付けたような、いわゆる臨時的に造られた一種のテントのようなものであったと伝わっています。

なお、この臨時で造られたテントは当時では「幄舎(あくしゃ)」と呼んでいたようで、主に祭りや儀式などで使用したようです。

鎌倉時代に造営された楽房は現在よりも大きかった?!

現在のような屋根付きの楽房は鎌倉時代に造営されていますが、鎌倉時代の楽房は現在の楽房よりもひと回りほど大きくかったようです。また、現在のように舞台に直接、設置されていたのではなく、舞台の上に乗せられていただけのようです。

ただ、楽房が大きすぎたために海風や高潮に耐えらえず、何度も倒壊したようです。現在の楽房は、左楽房のみ2004年(平成16年)の台風で被害を受けた後に修繕された時のものです。

厳島神社の「左楽房・右楽房」で演奏される舞楽の種類

右楽房・左楽房と楽房が2つあること疑問を感じられた方もおられると思われますが、厳島神社の楽房は舞楽(舞踊)の演目によって、右の楽房と左の楽房で使い分けがなされています。

厳島神社で演じられる舞楽の種類には以下のような種類があります。

  • インドや中国から伝わった舞楽は「左舞(さまい)
  • 朝鮮半島から伝わった舞楽は「右舞(うまい

これらの2種類の舞楽を、種類ごとに分けて楽房が使用されています。

  • 「左舞」は「左楽房」にて演奏
  • 「右舞」は「右楽房」にて演奏

 

厳島神社・「左楽房・右楽房」の場所

「左楽房・右楽房」は境内の平舞台の左右の両端に位置します。付近に左右の客神社があります。

終わりに・・

現在の楽房から西側の社殿を見渡せば、能舞台があってその奥の廻廊が見えにくいですが、清盛公が造営した当初は西側・東側双方の廻廊が一望できたようです。

龍が天空を舞い泳ぐように屈折する廻廊の景観は、さぞかし美しい景観であったことでしょう。

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