厳島神社・豊国神社(千畳閣)【重要文化財】
創建年
- 1587年(天正15年)※室町時代
再建年
- 1868年(明治元年)
大きさ
- 桁行13間(奥行:約24m)
- 梁間8間(横幅:約15m)
建築様式(造り)
- 入母屋造
- 一重
屋根の造り
- 本瓦葺
重要文化財指定年月日
- 1910年(明治43年)8月29日
御祭神
- 豊臣秀吉公
- 加藤清正
社格
- 厳島神社・(境外)末社
造営総指揮
- 安国寺恵瓊
発願者
- 豊臣秀吉
厳島神社・豊国神社の読み方
厳島神社の境内には、読みにくい名前の御祭神や社殿がありますが「豊国神社」は「とよくにじんじゃ」または「ほうこくじんじゃ」と読みます。
豊国神社と呼ばれている理由は豊臣秀吉公がこの世を去って神として崇められるようになった神号(しんごう)である「豊国大明神(ほうこくだいみょうじん)」に因んだものです。
他にも豊国神社には別名があり、「千畳閣(せんじょうかく)」とも言われております。
千畳閣と呼称されている理由としては、「畳の数が約1000枚の広さを持つ立派な建物」に因んでこの名前が付されています。
厳島神社・豊国神社の御祭神「豊臣秀吉」
豊国神社の御祭神は天下人「豊臣秀吉」と、その忠臣「加藤清正」です。
これらの豊国神社の建立された土地から察するに、生前の豊臣秀吉と縁のあった土地に築かれた社と言うことになります。
加藤清正はすでにご存知の方も多いと思われますが、「虎狩り」で名を馳せた猛将であり、秀吉公子飼いの武将でもあります。
実はこの豊国神社が創建された当初は秀吉公のみが祀られており、加藤清正は厳島神社の付近に位置する宝山神社(ほうざんじんじゃ/現在の多宝塔)で祀られていたようです。
明治時代に入って宝山神社からこの千畳閣へ遷されています。
豊国神社のご利益
豊国神社の御祭神は、農民から天下人にまでのし上がった豊臣秀吉です。
したがって、まずは「出世のご利益」がなります。
その他、秀吉は織田家随一の「人たらし」とも云われた武将で、信長から中国地方の計略を一任されています。
この時、中国地方をほとんど「調略」と言う名の「人たらし」の技術を用いて兵力を損ねることなく、降伏させる形で中国地方を手中におさめています。
因みに「人たらし」とは「多くの人に好かれるための技や性格のこと」で、多くの人に上手く取り入いって、最終的には自分に協力してもらうことまでをいいます。
秀吉は、生まれ持った陽気で寛大な性格と、農民出と言う弱い立場から、生まれながらにしてこの「人たらし」の技術を持っていました。
また、秀吉は臆病である反面、非常に頭の良い武将でした。
そんな秀吉の「人たらし」は並外れたものがあり、出世して行くごとに多くの優秀な家臣が配下に付き、最後には日本を統一し天下人にまでなってしまいます。
以上のことから、「仕事の人間関係の向上」・「単に人間関係の向上」や、そこから派生する「幸運招来」「良縁招来」のご利益もあります。
厳島神社・豊国神社の歴史・由来
大経堂が建てられた経緯
実は豊国神社は、豊臣秀吉によって創建された当初は「大経堂」と呼称されていました。
秀吉は1587年(天正15年)に九州征伐への途上、この厳島の地へも立ち寄り、軍勢を海上からも九州へ送りこめるようにと安宅船(あたけぶね/軍船)の造船を命じています。
その際、この千畳閣の周囲に自生していた1本の巨大な楠の木を伐採し、「山の神の土地を荒らした」とのことで償いの意味合いでお堂を造営します。
そのお堂こそが、かつての「大経堂」であり、今日に見る豊国神社(千畳閣)となります。
”大経堂”と命名された理由
「大経堂」という名前が付けられた理由は、秀吉は毎月に1度、盛大な法要(千部会=千部経の読経)を行うためのお堂、もしくは「1000もの経典を安置するお堂」との意味合いに由来するものです。
この「大経堂」の名前は明治元年まで続き、明治初頭に明治政府から発令された「神仏分離令」によって現在の「豊国神社」へと名前が改められています。
その際、大経堂の境内で安置されていた仏像となる、御本尊「釈迦如来座像」「阿難尊者像(あなんそんじゃ)」「迦葉尊者像(かしょうそんじゃ)」も、同じ宮島内に位置する「宮島・大願寺(だいがんじ)」へ遷されています。
えぇっ?!豊国神社(千畳閣)は実は未完成だった?!
実は、この豊国神社(千畳閣)は、いまだ未完成だと云われています。この理由は「朝鮮出兵」によって国内に主だった武将や家臣がいなくなったのと、豊臣秀吉が造営中に他界してしまい工事が中止されたためだと伝えられています。
厳島神社・豊国神社の建築様式(造り)
千畳閣の床下って歩けたんでっか!!知りまへんでしたわ
実は、駄々広い千畳閣の縁側の片側の床下はなんと!歩けるようになっており床下を観覧することができます。..こりゃ驚きダぎぁ
このように堂舎の床下を歩けるような建造物は日本広しと言えど1つもなく、まさに日本でたった1つだけの特殊木造建造物と言えます。
千畳閣の名前の通り、畳「1000畳」分もの広さがありますので、床下を通行する際、真下から見上げることで、その果てなき広さを実感することができます。
床下の16角の柱
通例では、柱を円柱にして建造物に据える場合、ひび割れを懸念して木目の中心となる”木の芯”を外します。ここでの「木の芯を外す」とは「木目の中央部(芯)からズラした位置で用材を確保する」という解釈です。
すなわち、まず木の芯を除外して四角形で切り出した後に、八角形に加工して最後に十六角形・・三十二角形→円柱へと加工して行きます。
大抵、床下に使用する用材は目に触れないという意味合いから、工程を短縮する意味合いで八角形までで留め置くのですが、千畳閣の床下の柱は十六角形をしています。
これには意味合いを感じ取れる一方で、単純に柱が太いので十六角形に加工したとも捉えることができます。
ちなみにこのような柱の円柱や角柱の形状に関しての由来は、一説によれば「天円地方(てんえんちほう)」という古代中国の思想が反映されているとも云われています。
天円地方とは、「天は北極星を中心として円状に存在する。地は方形状に存在する。」との考え方です。
これを寺社建築の柱に当てハメると殿舎や堂舎の柱は円柱で造り、その地下部分となる床下には方形状の角柱を据えるといった解釈になります。
豊国神社を創建した人物「安国寺恵瓊」とは?
安国寺恵瓊とは、毛利家の参謀であり軍師をも務めた僧侶のことです。主に豊臣家との外交僧として活躍し、毛利家存続のために一役かった人物でもあります。
安国寺恵瓊は正式には、恵瓊(えけい)と称し、現在の広島県広島市東区牛田新町に建つ「不動院」、かつては「安国寺(あんこくじ)」と呼ばれた寺院に僧籍を置く僧侶であったことから”安国寺の恵瓊”ということで”安国寺”を称するようになっています。
恵瓊は僧籍でありながら、幼少期から毛利家に仕えており、戦の折には自らも参陣して陣頭指揮を執っています。
この安国寺恵瓊は秀吉公同様の「人たらし」の才能や、すぐれた洞察力を持ち合わせており、外交では仏教勢力を背景に様々な他勢力との交渉を担当し、毛利家の興隆の礎になっています。
秀吉は恵瓊を毛利家の家臣と知りながらも自らと似たようなこの恵瓊に目をかけて重用し、ぬぅあんとぉぅっ!現在の金額で10億円ものお金をこの恵瓊に渡し、この豊国神社(かつての大経堂)を建立させています。
その後、工事は開始されますが、上述したように大経堂の完成を見ることなく秀吉公はこの世を去ることとなり、大経堂の造営工事は途中で頓挫してしまいます。
現在、この千畳閣が未完成であるとされる理由には、このような歴史的背景があったからです。
化粧屋根裏に、扉すらない粗末な堂舎
先述したとおり造営工事が中止になっていますので、御神座の真上の天井以外の天井には、天井板が張られておらず屋根の裏側が目視できる状態になっており、只々、虚無な空間が広がっています。
この他、豊国神社へ参拝に訪れることで容易に分かりますが、扉はもとより内陣や外陣と言った仕切り板も張られておらず筒抜け状態になっており、部屋の奥まで見通せます。
豊国神社(千畳閣)に使用されている木材
この豊国神社(千畳閣)に使用されている木材は、上述した楠の他、杉や松、栂(つが)などの様々な樹木が使用されています。
通例であればヒノキなどの用材が使用されるところですが、できるだけ効率よく短期間で建立できるように可能な限り近隣から用材から集められています。
秀吉公ほどの権力者が建造物に権力を反映させずに、あえてこのような短期間で完成を目指した理由の1つに、やはり自らの寿命を悟っていたのかも知れません。ウフ
秀吉公オリジナルの建築様式
秀吉公は織田信長の家臣であった頃から築城の名手として知られています。
そんな秀吉公は関白となってからも自らが采配をとって建造物の造営に携わったと云われています。
その遺構の1つとなるのがこの豊国神社・千畳閣です。
千畳閣の建築を見てみると、例えば母屋部分から飛び出た屋根部分を支柱で支えている様子が伺えます。

この支柱は屋根の垂れ下がりを防ぐ目的で使用されたと思われますが、それにしても天下人たる秀吉公が手をかけた堂舎にしては少々不恰好です。
実は秀吉公オリジナルの建築様式とはズバリ!この屋根まわりの支柱のことを指します。支柱を用いない方法が他にあったにもかかわらず、あえて支柱を据えている理由は現在に至っても謎とされています。
そしてこのような屋根まわりに支柱を据えた建築様式こそ秀吉公が手がけた建造物で多く見られることから、「秀吉公オリジナルの建築様式」と呼ばれています。
縁側をとりまく二重の床板
千畳閣に訪れた際に是非、見ていただきたいのが縁側の二重になった床板です。
この床板はぬぅあんとぉぅ!約10㎝も厚みがありますが、当初は1枚だったようです。
時代を経る過程で、もう1枚補強する意味合いで上から床板が据えられて2重になっています。
なにせ、千畳閣は400年以上も現在の岬の丘陵に建つ建造物であることから、海風などの風食(ふうしょく)の作用により、用材の表面が削られてスリ減っているぐらいです。
秀吉公が祀られた入れ物「逗子(ずし)」の木鼻
逗子とは豪華な入れ物のことで、千畳閣においての逗子とは秀吉公の御霊が祀られた神棚や覆屋(おおいや)を指します。
この逗子の前には鳥居にも例えることができる2本の大きな円柱がそびえ立っており、この円柱の上部を見ると唐様(からよう)を匂わせる「木鼻(きばな)」が据えられています。
木鼻とは柱と柱をつなぎ止めるための横木が「柱から飛び出た部分に彫刻される飾りのこと」で、寺院建築に見られる特徴です。
通常、木鼻には「象さん」や「獏(ばく/空想上の生き物)」、「渦巻き模様」の彫刻が施されます。ぞ〜ぉうさんっ、ぞぉ〜ぅおさん、お〜はながながぅぃのねぇっ!..ネ!!
そしてこの千畳閣の木鼻には象さんの木鼻が据えられていますが、なんとぉぅ!実は4つあるうち1つを残して明治初頭に切り落とされています。
切り落とされた理由は、明治初頭に政府によって発令された「神仏分離令」によって仏様と神様が分けられたため、仏教色が強いということで政府主導により、3つの木鼻の先が切り落とされたからです。
千畳閣に参拝された際はぜひ!本殿逗子の円柱上部の木鼻に注目してみてください!
1つだけ色が黒ずんだ古びた木鼻があります。この木鼻こそが創建当初の木鼻であり、400年の時を経た木鼻になります。
ちなみに明治初頭に切り落とされた木鼻は付近に住む住人の方が自宅で保管していたようです。それを大正時代に執り行われた修理の際に寄進されて元に戻されたということです。
豊国神社(千畳閣)最大の見どころ
「しゃもじ」
千畳閣の最大の見どころとなるのが、殿舎の中に幾つかお祀りされている”特大しゃもじ”です。
すでにご存知の方も多いと思われますが、宮島は古来、”木製しゃもじ”の日本一の産地でもあります。
宮島の”しゃもじ”は、かつて島内に居処した誓真(せいしん)という僧侶が広めた産業になりますが、後に厳島神社へ参拝する人々によって”しゃもじ”が日本中に広まり、いつしか「”しゃもじ”でご飯をすくい取るが、→、勝利をすくい取る」とされるようになっています。
つまり、この巨大な”しゃもじ”は、戦勝祈願で奉納された”巨大しゃもじ”となります。
”巨大なしゃもじ”を奉納するくらいです。絶対に何がなんでも勝ちたかったんでしょうなぁ。オホ
宮島のしゃもじの歴史や由来については以下の別ページにてご紹介しています。
絵馬
あまり知られていませんが、なっ、なっ、ゴホっ。な、なんとぉぅっ!厳島神社は江戸時代以来、「日本三大絵馬奉納所」と呼ばれています。
日本三大絵馬奉納所・一覧
- 春日大社
- 成田山新勝寺
- 厳島神社
千畳閣には、厳島神社へ奉納された絵馬が多数、飾られています(一部は宝物館)。この絵馬はかつては極彩色で描かれていましたが、現在は色がはげてしまって見えない部分もあります。
これらの絵馬の中には江戸時代の年号が記載されていて、厳島神社の様子や大鳥居などが描かれている絵馬も存在します。これはすなわち江戸時代に描かれて奉納された絵馬だということであり、特に注目すべきは「絵馬に描かれた大鳥居の扁額(へんがく)の文字」です。
大鳥居の扁額には、現在では見られない「伊都岐島大明神」と書かれた扁額が描かれています。
大鳥居に関しての詳細は以下の別ページにてご紹介しています。
広島県宮島・厳島神社 大鳥居の秘密を暴露!「 歴史・由来・建築方法・扁額の文字」と「お金(お賽銭・小銭)の意味」とは?
豊国神社(千畳閣)の「拝観所要時間」
豊国神社(千畳閣)での拝観は30分もあれば充分に可能です。
ただし豊国神社の境内には五重塔があり、さらに千畳閣の床下が歩けますので、すべて見学した場合は1時間は見込む必要があります。
豊国神社(千畳閣)の「拝観料(割引)・営業時間(開門・閉門時間)定休日・電話番号」など
厳島神社の境外・末社である豊国神社の境内へは無料で入れますが、千畳閣へ昇殿するためには、初穂料としてお金を納める必要があります。
入場料金、その他のデータは下記の通りです。
- 入場料金:大人100円 高校生100円 小・中学生50円(割引なし)
- 営業時間(開門・閉門時間):8時30分~16時まで
- 定休日:なし(年中無休)
- 住所:〒739-0500 広島県廿日市市宮島町1−1
- 電話番号:0829-44-2020(厳島神社)
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