厳島神社・不明門【国宝】

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厳島神社・不明門【国宝】

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創建年

  • 不明
  • 推定:1166年(仁安元年)
建築様式(造り)

  • 切妻造
  • 四脚門
  • 丹塗両開き唐戸
大きさ

  • 奥行:1.5m
  • 横幅:5m
屋根の造り

  • 本瓦葺
国宝指定年月日

  • 1952年(昭和27年)3月29日

厳島神社・不明門の読み方

厳島神社の境内には難しい漢字の表記の御祭神や社殿がありますが、不明門は「ふみょうもん・ふめいもん/あけずのもん・あかずのもん」と読みます。

また、別名で「不開門」とも呼ばれていたようです。


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厳島神社・不明門の歴史・由来

厳島神社の本殿は海上に造営されておりますが、本殿の裏側は陸地となります。

現在、この陸地部分を「後園(うしろその)」と呼称し、玉垣で覆われてた立ち入り禁止の地帯となっています。

そして、この不明門は本殿後方の立ち入り禁止地帯に建てられており、一般の参拝客は見ることが叶わず、本殿脇の玉垣から「屋根の部分」と「門の柱の部分」を少しだけを見ることができます。

なお、境内を出て真裏に回った先にある門は不明門ではなく「二脚の玉垣門」であり、(↓写真)この玉垣門の後方の森林の奥に「不明門」が位置しています。

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厳島神社・不明門が造られた目的

【その1】神様が通行するための門だった?!

この門が造営された経緯は、その名前と通り「不明」となっており、そんな理由から「不明門」と言う名前が付されているとも云われています。

しかし、厳島神社に伝わる言い伝えでは、古来からこの門は御祭神の「伊都岐島神」が「本殿と弥山を行き来するための門」として崇められてきたそうです。

そのため「神が通る門」として神格視され、何人もこの門をくぐる者はいないとのことです。

ただし、不明門には「小さな切戸」が設置されており、これは人が通行していたことを示すものです。

おそらく清盛公が創建した当初は、人がこの門を通行する際には、この切戸を通っていたものと思われます。

【その2】本殿後ろの本地堂(観音堂)へ行くための門だった?!

現在、この不明門の奥は森林になっており木々が生い茂っていますが、清盛公が厳島神社を造営した平安時代の当初は「本地堂(ほんちどう)」と呼ばれた「観音堂(かんのんどう)」が建っていたようです。

平安時代と言えば神様と仏様が混在する形で信仰していた神仏習合の時代であり、そんなことから厳島神社では「観音菩薩」を御祭神である「伊都岐島大明神(いつきしまだいみょうじん)」に例えて信仰していたようです。

しかし清盛公は、観音菩薩の方が伊都岐島大明神に姿を変えて現世にあらわれた後、あらゆる人々を救済すると信仰したので、観音菩薩を祀るお堂を本殿の後方へ建てています。

この双方の神仏の関係は、仏界にいる観音菩薩が現世に現れた姿が伊都岐島大明神とされていましたので、仏界と現世が混在しないように本殿とお堂の間にこのような開けることがない門を設けたようです。すなわち、それ故にこの門が「不明門」と呼ばれていることになります。

しかし、観音堂のお世話や祈願することもありますので、人が通行できるように門の端に小さな切り戸が設けられていると考える事ができます。

厳島神社・不明門の場所

不明門は厳島神社境内の本殿の後方に位置しております。

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