宮島・厳島神社「能舞台」【重要文化財】

スポンサードリンク

宮島・厳島神社「能舞台」【重要文化財】

厳島神社「能舞台

創建年

  • 1605年(慶長10年/江戸時代初期)
再建年

  • 1680年(延宝8年/江戸時代前期)
  • 1994年(平成6年)
建築様式(造り)

  • 切妻造り
  • 正面妻
  • 一重
屋根の造り

  • 檜皮葺
材質

  • 松(創建当初)
大きさ

  • 四辺:約5m(舞台)
重要文化財指定年月日

  • 1899年(明治32年)4月5日
発願者

  • 福島正則※創建
  • 浅野綱長(安芸広島藩・第4代藩主)※再建

厳島神社・「能舞台」の読み方

厳島神社の境内には難しい漢字の表記の御祭神や社殿がありますが「能舞台」は「のうぶたい」と読みます。

厳島神社の境内にはもう1つ舞台があって「高舞台」と言う舞台がありますが、能舞台は高舞台とは異なる全く別の舞台になります。

厳島神社・「能舞台」の歴史・由来

厳島神社の能舞台は陸側から見た境内の左手側(西側)の回廊(西回廊)の先に位置し、日本でたった5つしかない重要文化財に指定登録されている舞台になります。

1605年(慶長10年)に福島正則の手により造営されていますが、創建当初は宮島島内の樹木を搔き集めて造営されましたので、ほとんど近くに生えていた松の木が用いられています。

その結果、50年ほどして腐朽が顕著となり、1680年に浅野綱長(あさの つななが)によって現在みることのできる能舞台に造り変えられています。

しかし、1991年(平成3年)に発生した台風19号の影響で倒壊するに至りますが、創建当初の殿舎の姿を再び復元する形で1994年(平成6年)に再建されています。

能舞台で初めて能が舞われたキッカケ

厳島神社で踊りが奉納されるようになったのは、1568年(永禄11年)に毛利元就の命により、「観世流(かんぜりゅう)」の「観世太夫(かんぜだゆう)」が、舞楽(能)を奉奏したことが起源とされています。

元来、能は男性のみが舞う踊りでしたが、近年では女性の舞台への昇段を許され、女性も舞うようになっています。

尚、厳島神社の能舞台は「唯一無二の能舞台」とも云われており、その理由の1つに海上に造営されているといった背景があります。

厳島神社の能舞台の音響効果について

能舞台には基本的には現代のような作為的な音響効果は用いず、自然の道具で作り出した音のみを使用します。

厳島神社の能舞台は海上に造営されている立地柄、通常は舞台の床下に音響効果を最大に活かすために用いる幾つかの「甕(かめ=大きなツボ)」などが設置できないため、床に弾力を持たせることで音響効果を最大限に演出しています。

このような造りの舞台は厳島神社の舞台の大きな魅力であり特徴の1つです。

 

能舞台の見どころ

橋掛(はしがかり)

能舞台の後方には「橋掛(はしがかり)」と呼ばれる高欄(こうらん/手すり)が据えられた廊下があります。この廊下は能舞台と能楽屋(楽屋/役者が準備を行う詰所)を結ぶ通路であり、能楽屋から通路へ役者が登場することで拍手喝采が浴びせられます。

この橋掛や能楽屋は創建以降、度重なる台風や高潮によって倒壊しており、現在みることのできる橋掛や能楽屋は倒壊の都度、再建されてきた姿になります。

鏡板の松の絵

舞台背景の大きな「鏡板(かがみいた)」には「老松(松の木)」が描かれていますが、これは舞台を造営する時の定型の1つであると言えます。

この鏡板の松の絵も1991年(平成3年)に発生した台風19号によって損傷を受け、その後に新たに作画されたものです。

ちなみに「鏡板」とは、神様の依り代とされる他、音響を最大源に反響させるための先人の知恵の結晶でもあります。

また、舞台の材質はヒノキが用いられることがほとんどで、舞台を組むときにはヒノキの板を正面から背面にかけて縦方向に流して組みます。

厳島神社・能舞台の場所

厳島神社の能舞台は境内の西回廊の出口付近に位置します。能舞台に上がることはできません。西回廊から見学のみ可能です。

スポンサードリンク -Sponsored Link-

    

当サイトの内容には一部、専門性のある掲載があり、これらは信頼できる情報源を複数参照し確かな情報を掲載しているつもりです。万が一、内容に誤りがございましたらお問い合わせにて承っております。また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。

関連コンテンツ