宮島🦌厳島神社「鏡の池(鏡池)」【厳島八景】

スポンサードリンク

宮島・厳島神社「鏡の池」【厳島八景】

宮島へ訪れる前に、旅行雑誌などで事前に学習している方はご存知かもしれませんが、厳島神社には「鏡の池」と呼称される池があります。

しかし、ご存知の通り厳島神社の境内は海に囲まれていますので、海に池?イきゅェ?・・などと少し考えこんぢまいヤスでヤスが、たしかに「鏡の池」と書かれた看板を回廊から見ることができます。

⬆️ホントにイきゅェ?

はたして本当に「鏡の池」なる池があるのでしょうか?

あるとすればいったいどんな歴史や由来を持つ池なのでしょうか?

以下ではこの厳島神社境内にあるという不思議しぎシギ摩訶不思議な鏡の池についての謎を解明していきます。

まず「厳島神社の”3つの顔”」

厳島神社には主に「3つ表情」があると言われています。

 1つ目は「満潮の時の海水で社殿群が覆われた時の姿」です。
朱色の社殿が海面(水面)に映し出された社殿群の姿はまさに海上の竜宮城と言えます。クソほど心が和みます。
 2つ目は「干潮の時の社殿群の姿」です。
満潮の時は火焼前(ひたさき)の向こうの大鳥居まで水で覆われていますので、満潮の時には見えなかったモノが見えてきます。

 3つ目は「夜景」です。
厳島神社は夜になると燈籠に明かりが灯ります。
満潮時などは、社殿群の明かりが水面に映し出されて何とも言えない風情を醸し出します。

そこで今回は2つ目の「干潮の時の社殿の姿」と言う部分で以降の話を進めていきます。




厳島神社・鏡の池の歴史・由来

干潮の時に厳島神社へ訪れると満潮時では見れなかった社殿の足元の部分を見ることができます。

つまり「浜辺の地面」です。

実は厳島神社の社殿群の足元の地面には「鏡の池」と呼称される池が造られています。

%e5%8e%b3%e5%b3%b6%e7%a5%9e%e7%a4%be%e3%83%bb%e9%8f%a1%e3%81%ae%e6%b1%a001

%e5%8e%b3%e5%b3%b6%e7%a5%9e%e7%a4%be%e3%83%bb%e9%8f%a1%e3%81%ae%e6%b1%a0

この鏡の池の場所は境内の「朝坐屋(あさざや)【重要文化財】」の前に存在します。地元広島では古来、「厳島八景」と言うものが存在し、厳島神社の鏡の池はなんと!その「厳島八景の一角」と云われています。

「厳島八景」とは、宮島の島内の豊国神社の付近に位置する「光明院(こうみょういん)」の僧侶「恕信(じょしん)」が、1715年(正徳5年/江戸時代中頃)に書き記した書物内に見られる言葉です。

恕信は宮島でもっとも美しいとされる8つの場所を書物に綴り、後世に伝えています。

厳島八景・一覧

大元桜花(おおもとおうか)

春先の大元公園の満開の桜の景色

滝宮水蛍(たきのみやみずぼたる)

弥山へ登る途中の白糸の滝を囲んで蛍が舞う姿が美しい

厳島明燈(しゃとうみょうとう)

水面に写し出される嚴島神社の殿舎や燈籠の灯り

鏡池秋月(かがみいけしゅうげつ)

客神社・天神社の脇の鏡池に写し出される満月

御笠浜暮雪(みかさはまぼせつ)

嚴島神社付近に位置する「洲浜」の雪景色

谷原麋鹿(やつがはらびろく)

紅葉谷の東に位置する「谷が原」の鹿が群れる景色

有浦客船(ありのうらきゃくせん)

宮島桟橋付近の船が並び立つ情景

弥山神鴉(みせんおがらす)

諸説ある厳島神社の創建説の内、神々が草創したとされる説に登場したカラスのこと

この内「鏡池秋月」が厳島神社の境内に位置する鏡の池にあたります。

「鏡池秋月」の意味合いとは「鏡の池に写し出された”中秋の名月(満月)”は、何物にも代え難いほど美しい」の意味です。

干潮の時にでも干上がることのない摩訶不思議な「鏡の池」

干潮の時に厳島神社へ訪れたことのある方で、鏡の池を見たことがある方であれば、こうは思わなかったでしょうか?

「あれ?海水が干上がってない」

そうなんです。

例えば、干潮時のクソ夏い真夏の真っ昼間に1時間以上経っても、この池の水は、けっして干上がることがないのです。

むしろ水たまりが広がり、増して溢れている感があります。

これには理由があって、なんと!厳島神社の鏡の池は下から海水ではなく、淡水(川水)が湧き出ていると言われています。




厳島神社の鏡の池に「水が湧き出る理由」

考えてもみてください。

厳島神社は浜辺に造営された社であって、その足元は浜辺です。

浜辺に水が湧き出ると言う現象は想像がつきにくく、とても信じがたい話です。

しかし、これには原理が存在し、おおむね次のようになります。

厳島神社の周辺付近の地形を見れば一目瞭然ですが、本殿もしくは不明門の後方には、「御手洗川(みたらしがわ)」と呼ばれる川が流れています。

しかし、この御手洗川は本殿(不明門)の手前で迂回して途中で「白糸川(しらいとがわ)」と合流する形で海へ流れています。

実は、平安時代に現在の厳島神社の社殿群が造営された際、現在の本殿の場所には御手洗川が流れていました。川は基本的に山頂から直線上に海へ向かって流れていきますので、川の流路を見れば容易に理解できます。

川は例え堤防を設けて流路を変更しても、伏流水というものが地下を流れていますので、完全に川の流路を変更することは困難です。

また、現在の本殿の付近周辺の地層は岩盤層であることが明らかにされています。

つまり、その岩盤層を通過する、もしくはその上を伏流水が通過して浜辺まで流れついているために、このように地下から湧き出ているのです。

しかし実はこのように伏流水を用いて、この鏡の池にわざと湧き出させているとすれば驚かれますのでしょうか?

清盛公は現在の厳島神社を造営する際、瀬戸内海を借景として寝殿造りの”池”に見立てようと画策します。

その際、腕利きの職人や地元を良く知る人物を集めて綿密な調査を行ったと考えられます。

世に2つとない海上に寝殿を造るわけですから、並並ならぬ意気込みと相当な思い入れがあったハズです。 その結果として、他の貴族のド肝を抜くようなこのような世に2つとない稀有な池が誕生することになります。

「鏡の池」の場所(地図)

鏡の池は厳島神社の境内入口となる「東廻廊」から入って最初に参拝者を出迎えてくれる殿舎になります。

鈴はなく賽銭箱へ賽銭を投入して祈願する形式になります。

関連記事一覧

スポンサードリンク -Sponsored Link-


当サイトの内容には一部、専門性のある掲載があり、これらは信頼できる情報源を複数参照し確かな情報を掲載しているつもりです。 また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。