戦艦「大和(やまと)」は、全長263.0m、幅38.9m、3,000人以上が乗船できたという、史上最大の戦艦。
呉市の海軍工廠(現ジャパンマリンユナイテッド呉工場)が建造を手がけ、建造費もケタ外れとなる1億3700万円(現在の貨幣価値で約3兆円に相当)も要したが、勝利をもたらす不沈の船として国民は歓喜に湧いた。
近世に到っては、大和がモチーフとなったアニメ宇宙戦艦ヤマトはシリーズ化され、世代を超えて人気を博し、映画『男たちの大和/YAMATO』では、当時の大和や乗組員の勇姿を見事に再現し、大和の存在を現代に知らしめた。
大和の模型を造るのは困難を極めた❗️
大和の模型を造るのは容易いことではない。
大和の模型製造が困難を極めた理由
🚢戦艦大和は当時敵国であったイギリスやアメリカに存在が知られないように秘密裏に進められていた
🚢完成時すでに戦争が始まっていた
🚢敗戦直後に設計図などの記録の多くが焼却処分された
‥以上のように、正確な模型を作るための資料が充足していなかった。
大和の模型は現在進行形で更新され続けている❗️
大和の海底調査や研究が現在進行形で継続されている事実を以って、未発見の情報や資料が新たに見つかった場合、当該、10分の1サイズの大和模型も随時、改装される。(2026年度の当館リニューアルにおいて部分的に改装された。素敵に後述♡)
大和ミュージアムで展示される大和の模型は10分の1サイズ❗️
大和ミュージアムの戦艦大和の模型は、本物を忠実に再現した十分の一サイズの模型で全長は26.3mと‥なっちゃぅ。
大和ミュージアムの戦艦大和の模型は本物を忠実に再現したもの❗️
10分の1サイズとはいえ、大和ミュージアムに展示される戦艦大和の模型は、設計図や写真、潜水調査による水中映像などをもとにして、できる限り現物に近づけて再現されてい‥申す。えっ
驚くほど精緻に作られているので、是非に下からスカートの中をのぞきみるようにドキドキとしながら、見上げたり、上から(2階から)見下ろし見たりと、まぁとにかく細部までよ〜く観察してみて欲しい …ドキドキするのは君だけ
大和ミュージアムの戦艦大和の模型のディテールを紹介
2階スロープから見おろし見た構図(正面)
2階スロープから見おろし見た構図(やや真横)
右舷、斜め20度くらいから見た大和模型の姿
↑観覧客の身長と大和模型を比べてみて欲しい。10分の1だが、そのスケールが素敵に理解できる。 …どんな理解や
左舷、斜め30度くらいから見た大和模型の姿
左舷から見た大和模型の姿
両舷の機銃と対空砲の前にブルーのダイエット後のカールおじさん発見❗️
戦艦大和沈没直前の搭乗員(艦幹部士官)一覧
| 階級 | 氏名 | 役職 |
|---|---|---|
| 中将 | 伊藤整一 | 第二艦隊 司令長官 |
| 大佐 | 有賀幸作 | 艦長 |
| 大佐 | 森下信衛 | 参謀長 |
| 中佐 | 能村次郎 | 航海長 |
| 中佐 | 黒田吉郎 | 砲術長 |
| 少佐 | 清水芳人 | 副砲長 |
| 少佐 | 深井俊之助 | 副砲長 |
2階から大和模型の艦尾方向を見下ろし見た構図
艦尾の特徴として大砲は一門だが、カタパルトが設置されている点に注目👀
戦艦大和のカタパルト構造は現行の空母にも使用される❗️
機動戦士ガンダムにも頻繁に「カタパルト」というセリフが頻繁に登場し、スッカリかりカリと有名人になりつつあるカタパルト。
しかし‥、そもそもの「カタパルト」とはいったい何のか?
【ピヨ🐣「カタパルト」とは❓】
「カタパルト」とは、簡単に言えば日本海軍が考案した「飛行機強制射出装置」のようなもの。
大和ような戦艦や空母などの充分な滑走路が設置できない艦船でも、戦闘機を素敵に搭載することが可能になった。
【ピヨ🐣カタパルトの仕組み・構造とは❓】
カタパルトの仕組みは、火薬で爆発させた爆風でピストンを素敵に押し上げ、その先のワイヤーが飛行艇のフロート(ボート状の脚部)を引っ掛けて、航空機体を押しやって飛ばす。
殊に、この構造は現在のアメリカの空母にも採用されている画期的なもの。
カタパルトの奥には手漕ぎボートが収納される❗️
大和模型のカタパルト奥に目をやると、白い厚手の布で覆われたボートが格納されているのが、これまた素敵に視認できる。
このボートは帰還した偵察機を再び甲板へ戻す時の作業や、サルベージ、岸辺などへ接舷する時に用いる短艇(たんてい/カッターボート)としても使用される。
大和ような巨大艦艇は容易く岸辺へ接舷できないので、沖合に錨を下ろして、乗組員たちは短艇で上陸した。
大和に搭載されていた航空機の数と種類とは❓
どうやらこの大和模型には一機の飛行艇しか搭載されていないようだが(カタパルトに乗っている)、実際の大和には2種類7機の飛行艇が配備されていた。
大和に搭載されていた航空機は、いずれの種類も”期待”されるほどに”機体”下部が下駄履き(浮舟/フロート)になっており、水上飛行&水上着陸も可能だった。
大和搭載の航空機は戦闘機ではなかった?!
戦艦に搭載されている航空機とくれば‥やはり戦闘機をイメージしちまぅ。
ところが、大和に搭載される航空機は偵察と着弾の有無、着弾点を調べる偵察機だった。
これはレーダー性能が今ほど充実していなかったらしく、命中したのか?着弾距離はどれくらいなのか❓‥等を調べる必要が素敵にあり、そのために飛ばしていたといわれる。
艦橋
【ピヨ🐣艦橋とは❓】
艦橋(かんきょう)とは、人差し指で目標物となるアナルめがけて‥ではなく、司令官(艦長)や操舵手が搭乗する司令室と‥なっちゃぅ。…それはカンチョ〜👆
中央の勃◯したチンコのような突起した部分が「艦橋(かんきょう)」と呼ばれる部分。
艦橋の部位の紹介
【ピヨ🐣「21号電探」とは❓】
正式名は「二式二号電波探信儀一型(2しき2ごうでんぱたんしんぎ1がた)」。
日本海軍が開発した艦艇搭載用の対空警戒レーダー。「電探」とはレーダーのこと。
「21号電探」「二号一型電探」」等と ほどよく素敵に略称される。
↑空母「隼鷹」に搭載された21号電探のアンテナ部(ウィキより)
この網状の部分から電波をヤバぃよ素敵に発射して、艦艇や航空機がいれば電波が反射で跳ね返ってきて存在が確認できる。
尚、目標物の位置を割り出すのは、後述の測距儀という装置に‥なっちゃぅ。
【ピヨ🐣「測距儀」とは❓】
上記、電探(金網)の下部分にある、左右へ飛び出した部分が「測距儀(そっきょぎ)」と呼ばれる。
如何に主砲が世界最大最強を誇っても、的に当たらなければ意味がない。
そこで素敵に登場するのが「測距儀(そっきょぎ)」と‥なっちゃぅ。
戦艦大和に搭載されていた測距儀は、左右の長さが15メートルもあったらしく、俗称で「15メートル測距儀」と呼ばれていた。
その15mもの筐体を基線とし、三角測量を素敵に用い、目標物までの距離を測っていたらしい。
尚、15メートルもある巨大なものだったため、5人もの配員で操作していたという。
殊に、大和の測距儀は約4万メートル先の物体を捕捉できたらしく、日本海軍の粋を結集させて開発された、世界最大級の光学式距離計だった。
また、大和の測距儀は精度を上げるために、当時の価格で約40万円(現在の価格で7億4千万円相当)もした2枚の対物レンズが設置されていたとか。
このレンズは当時、最先端光学技術を保有していた日本光学工業株式会社(現・ニコン)が製作したものだった。
【ピヨ🐣「第一艦橋」とは❓】
測距儀下の横長の小窓がハメ込まれ部分が「第一艦橋」と呼ばれる部分。
昼間の戦の際、艦長はここで指揮をとっていたことから、「昼戦艦橋」とも呼ばれていたとか。
【ピヨ🐣「第ニ艦橋」とは❓】
夜間の戦では、艦長は当該、第二艦橋で指揮をとっていた。
殊に、”艦橋”にはエレベーターが設置されていたので、”環境”は良好だったが、高官など限定された人物しか使用できなかったらしい。
実は艦橋内部には厚さ40cmの鉄板に覆われた円形の区画があり、厳密には戦になるとこの分厚い鉄板の内側に艦長や操舵手、速力通信機などの操作員らが入った。
分厚い鉄板の内側に入る理由は、察しのとおり、艦長をはじめとした司令系統を護るため。司令官や操舵手、通信士が戦死すれば指揮系統が乱れて、士気も大きく下がる。これでは戦にならない。
だから敵の鉛玉(機関銃)を浴びても弾が貫通しないような、分厚い鉄板の小部屋が設置されていた。(艦橋に入るのは身分の高い高官がほとんど)
【ピヨ🐣「司令塔」とは❓】
大和の司令塔は操舵室、防御指揮所、主砲司令塔射撃所(主砲用旋回方位盤設置)の三区画に分かれていたらしく、戦の最中、副長がこの防御指揮所に入って指揮を執っていた。
殊に、よくサッカーでゲームメイキングプレイヤーに与えられる「司令塔」という言葉の由来は、この艦橋の司令塔からきてい‥申す。えっ
【ピヨ🐣「射撃指揮所」とは❓】
射撃指揮所とは、46cm主砲を発射するみぎり、ここで発射の指揮をとった所。
【ピヨ🐣「航空指揮所」とは❓】
戦闘機との戦のみぎり、艦長や司令官が上空を見渡し、ここで指揮をとった。
双眼鏡が置かれ、防弾ガラスや装甲で周囲を素敵に覆っていた。
ピヨ大和の乗組員たちはどこで飯を食べていた❓
大和の乗組員は3000人もいたので、飯を食べるとなると大食堂の確保も必要💘
一説に艦内の諸所に食堂が設置されていて、それぞれの持ち場近くに設置された食堂で食べていたとか。
中でも船体中央はもっとも揺れが少なく、中央では艦長以下、高官の食堂があったとか。
大和の隠れたシンボル❗️もくもくと煙を出す「煙突」❗️
上記、メインマストの下、艦橋のすぐ後ろにはエンジンの煙出しが斜めに設置されている。
よく見るとやや斜めに傾けて設置されているのだが、これは煙が艦橋の視界を遮らないように設計されたから。
戦艦大和の出力装置一覧
| 区分 | 詳細 |
|---|---|
| ボイラー | 艦本式ロ号ボイラー ×12基 |
| 蒸気条件 | 温度 約325℃ / 圧力 約25kg/cm² |
| 燃料 | 重油 |
| タービン | 艦本式2号丁型タービン ×4基 |
| 軸数 | 4軸(スクリュープロペラ×4) |
| 最大出力 | 150,000軸馬力 |
| 推進方式 | 衝動式蒸気タービン+減速歯車 |
| 最大回転数 | 約225rpm(スクリュー) |
| 巡航回転数 | 約140rpm |
| 巡航出力 | 約42,000軸馬力(4軸合計) |
| 巡航性能 | 16ktで約7,200海里 |
| 最大速力(ノット) | 約27.3kt |
戦艦大和は低出力で巡航ができる燃費重視モードと、戦の時にはフルパワーで特攻がかけられるという二面性が備わっていた。
スクリューを駆動させる手順
重油 → ボイラー → 蒸気 → タービン → ギア → スクリュー
球状艦首
艦首部分。1階から見るとやはりリアル。かつての大和の勇姿が偲ばれる。
【ピヨ🐣「球状艦首」とは❓】
球状艦首とは、名前のとおり、ワザと丸〜く加工して造った艦首部分のこと。
「バルバスバウ」とも呼ばれる。
このように先端を丸くすることで造波抵抗(水上を動く物体が受ける抵抗)を極限まで減少させ、安定した速度の確保のほか、航続距離を伸長させる事ができた。
大和のこうした技術は、後の造船技術に多大な影響を与え、現在の船舶も球状艦首が採用されてい‥申す。ひょ
木甲板にはタモ材と鉄板を使用❗️
当模型の甲板部分の制作を手がけた大下棟梁によると、一見平らそうに見える甲板も実は平面ではなく、水捌けをよくするために東西に下りの傾斜がついているらしく、横から見てもウネるような曲線が連続的につながっている状態になっているとのこと💘
実際の戦艦大和の甲板は台湾ヒノキが使用されていたらしいが、このヒノキを模型に使用すると木目だけは縮小できず、1分の1スケールになってしまう。
そこで模型サイズに合わせて、木目が細かく色合いも良好なタモ材を用いたとのこと💋
艦尾から見た大和模型の姿
艦尾から見た大和模型の姿。色鮮やかな旭日旗(きょくじつき)が目を惹く。
【ピヨ🐣旭日旗を掲揚している位置に注目】
上掲写真(画像)の大和模型の旭日旗は艦尾に掲揚されているが、実は戦闘中はメインマストに軍艦旗を掲げるのが国際法上のルールとされる。
大和のメインマストの場所は下掲写真(画像)の黄色枠の部分
スクリュープロペラ
戦艦大和の船尾船底に取り付けられていたスクリュープロペラまでもが忠実に再現される。

手前の写真は2016年(平成28年)5月、呉市潜水調査が戦艦大和が沈没したとされる九州南西沖の水深350mで撮影されたもの💋
大和模型最大の見どころ❗️『3連装主砲塔』
大和船首の砲列甲板には三つの砲台が設置されているのが素敵に視認できる。
しかしよく見ると左端と中央の大砲だけが大きく、右端の大砲は少し規模が小さいことが分かる。
実は、左端の大砲を「一番砲」、中央の大砲を「二番砲」、そして右端の大砲は「副砲(ふくほう)」と呼ぶ。
大和は艦尾にも大砲と副砲がそれぞれ一基ずつ実装されており、艦尾の大砲は「三番砲」などと呼ばれる。
大和の副砲は60口径15.5cm三連装砲。
船体の艦首艦尾のほか、実は中央左右にも1基ずつ実装されているので合計4基12門と…なっちゃぅ。
天一号作戦時に副砲が撤去され対空兵装が強化された
尚、後述の天一号作戦のみぎり、大和は米軍艦載機への対空砲火に備え、副砲を素敵に撤去し、対空機銃への換装を行っていた。
艦橋の周りには25mm三連装機銃が50基以上、他にも数多の単装機銃が配備された。
天一号作戦時の大和の対空兵装
・25mm3連装機銃: 52基/156門
・25mm単装機銃: 6基/6門
・13mm連装機銃: 2基/4門
然るにこの模型は建造当初の勇ましい姿の本来の大和を忠実に復元していることに…なっちゃぅ。
大和の主砲の砲筒は46㎝口径で世界最大❗️
大和の主砲の砲筒は、一つ一つが46㎝口径もあり、建造当時、世界最大規模を誇った。
尚、現代においても大和の46㎝(18.1インチ)主砲は世界最大であり、ギネスブックにも掲載される。
忘れてはならない!大和の46cm砲は9門ある!
大和の46cm砲は1基の砲台に三つ実装されており、3基砲台があるので合計9門ある。
大和主砲の最大射程距離は40キロ⁉️
大和の主砲最大射程距離は、42,026mと(40.2㎞)❗️❗️…と、これまた当時では世界最大の射程距離を誇っていた。
これに詰め込む砲弾は、直径約46㎝で重さが1.46トンもあり、約40秒で発射できるという代物だった。
しかしながら、主砲一つに40名もの配員が必要だったとか。
大和の弾の装填方法とは❓
戦艦大和の弾(九一式徹甲弾)は、重さ1.46t(1460kg)、炸薬量33.8kgという、想像もつかないほどの規模だった。
大和の各砲台の下階には「装薬庫」と「弾庫」が設置されていたが、当時は機械式よりも人力の方が信用できるとして優先してされていたとか。
しかし、大和の主砲は桁違いのサイズのため、弾の重さやサイズも桁違い。
そこで装填時は事前に「装薬庫」と「弾庫」から揚弾筒の下に弾薬を移動させて装填しやすくしていたといわれる。
尚、装填するときは砲筒の中に先に弾、その後ろに装薬を詰め込んでブッ放す!
このような主砲の装填は砲術長の指揮のもとに行われていた。
戦艦大和はエンジンの排熱を利用して真水を確保していた⁉️
戦艦大和はエンジンの排熱を活用した蒸留装置(エバポレーター)を搭載していたらしく、海水を煮て蒸気を回収するような設備があったらしい。
しかし、真水を生成するために大量の重油が必要になったことから、実際のところほとんど使用される機会はなく、真水の補給は軍港にて適宜、行われていたという。
殊に、大和には下階の大型タンクに計297トン、艦橋脇の下階タンクに212トンの合計509トンの真水が貯蔵できたといわれる。(乗組員の比率に対しては低い数字)
えっ⁉️戦艦大和は冷暖房完備だった⁉️
戦艦大和の冷蔵設備
• ターボ式冷凍機(50馬力級)×4
• 冷蔵庫容量:約223㎥
冷暖房設備
• 一部(士官室・指揮区画)にのみ冷房設置の部屋があった。
• 一般兵員室は基本非冷房(通風のみ)だった。
冷房は主砲火薬庫用の冷却装置を流用、暖房は蒸気ヒーターを流用したものだった。
戦艦大和のあまり知られていない設備
発電設備
• 発電機:600kW ×8基/合計4,800kW
エレベーター
• 4人乗り(三菱製)
• 士官専用(戦闘時は弾薬運搬にも使用)
洗濯
• 士官用:洗濯室+機械設備あり(乾燥・アイロン可)
• 兵員:甲板で手洗い(水 約10L支給)
※水不足のため、士官以外は基本、自力で洗濯していた。
風呂・衛生
• 海水風呂(週2回程度)
• 真水は洗面器3杯(約4L未満)のみ配給
• 入浴は号令制&時間制
水が貴重とされていたので、入浴に関しては海水を使用したりするなど、わりと厳しい取り決めがあったとか。
調理設備
• 蒸気式の大型炊飯釜(600合)×6基
• 菜釜×2基、粥釜(200合)×1基
• 電気調理器(15kW×3、25kW×2)
• その他の調理器×2基
• 食器洗浄機・保温庫・冷蔵庫あり
戦艦大和では蒸気調理が中心だったらしく、調理室は高温多湿、調理担当は服を絞ると汗が雑巾を絞った時のように出まくったとか。
それでも機材や設備は当時ではかなり先進的だったらしく、士官クラスの夕食は洋食のフルコースだったらしい。
アイスクリーム製造機まであった⁉️
にわかに信じがたいが、大和には当時ではかなり画期的なアイスクリーム製造機までもが設置されていた。
このような機器が軍艦に設置されていたという点に注目したい💘
その他の設備
他にも理髪室や医務室まで設置されていたらしく、諸々設備を総合的にみると、まるで一つの街が形成されていたともいえる。
アメリカが46cm砲 搭載の戦艦を建造出来なかった理由とは❓
前述のように、やはり大艦巨砲主義ではなく、空母と航空機を主軸とした戦の方法へとスライドすべく、戦艦は建造しなかったというのがもっともな見解。
‥しかし本当に建造できなかったのか❓
実はこんな説もある。
アメリカ軍はパナマ運河を航行させることを考えていたらしく、そうなるとパナマ運河のもっとも狭い箇所が34メートルしか幅がない。
46cmクラスの大砲を実装するとなると、主砲発射時の爆風がものスゴいらしく、あまつさえ大砲周囲には極力何も置けない。そうなると必然的に40メートル級の船体幅が必要になるらしい。
だから設計上どうしても大艦巨砲主義は実現出来なかったとか。
尚、日本はこの当時、アメリカに攻め入ることなど考えておらず、自国防衛のことしか念頭になかったので、46cm大砲を搭載した戦艦を建造できた。
天一号作戦で大和轟沈❗️
大和ホテルとまで揶揄されていた状況もあってか、しびれを切らした連合艦隊参謀の神 重徳は、参謀長の草鹿龍之介を通じて全帝国海兵にこう告げた。
「一億総特攻の魁(先駆け)となれ!」
程なくして司令部は、沖縄に上陸したアメリカ軍を掃討すべく、大和に出撃を命じる。
尚、本作戦は厳密には、大和以下の艦隊を沖縄本島に突入のうえ座礁させ、主砲や各種砲門を砲台として用い、弾薬が底をつけば乗員全員が突撃をかけて白兵戦に転じるという、まさにあの世行き片道切符の捨て身の特攻作戦だった。
実は出撃命令が出た時、大和は呉基地に停泊中だったが、呉基地はアメリカ航空師団により、にわかに爆撃を受けており、航空戦力の支援が得られない状況での出航だった。
出港した大和は、いったん三田尻沖(広島県)へ入り、1945年4月6日、徳山沖にて8隻の駆逐艦を素敵に随行させ、一路、激戦の地、沖縄へ。
天一号作戦時の第一遊撃部隊の編成概要
| 区分 | 種別 | 艦名 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 旗艦 | 戦艦 | 大和 | |
| 護衛艦(第二水雷戦隊) | 軽巡洋艦 | 矢矧 | 旗艦補佐 |
| 駆逐艦 | 冬月 | ||
| 駆逐艦 | 涼月 | ||
| 駆逐艦 | 磯風 | ||
| 駆逐艦 | 浜風 | ||
| 駆逐艦 | 雪風 | ||
| 駆逐艦 | 朝霜 | ||
| 駆逐艦 | 初霜 | ||
| 駆逐艦 | 霞 |
しかしこの時、大和の動きはアメリカの潜水艦によって捕捉されていようとは夢にも思わない。(豊後水道あたりの海域で大和以下、駆逐艦の動きは察知されていたらしい)
…そして、1945年(昭和二十年)4月7日、ついに運命の日がやってくる。
すでに航空戦力が主流となっていたアメリカ軍に対し、自慢の主砲をブっ放す機会すら与えられず、一方的に爆撃や魚雷などを浴び続け‥、午後14時23分、大爆発の轟音と共に大和、坊ノ岬沖(鹿児島県)にて轟沈す。
後日、生還者らは語った。その轟音はまるで大和の悲鳴のようだったと…。
大和沈没までの航路
呉(広島県)→ 三田尻(広島県)→徳山沖(山口県)→坊ノ岬沖(鹿児島県)
戦艦大和の死者数と生還者数
乗組員3332人に対し、死者3056名、生還者276名
実は戦艦大和は現存する❗️
実は、のぉあんと!!現在もあの戦艦大和は実在する❗️
九州南西沖の海底に!!
戦艦大和の残骸は、鹿児島県枕崎市の坊ノ岬沖(東シナ海、男女群島女島の南方約176km)の水深約345〜350メートルにある。
緯度は北緯30度43分、東経128度04分付近。
大和が沈んでいる場所(地図)
↑上掲地図の目玉親父のあたりに戦艦大和が沈んでい‥申す。きゃ
現在の状況は、船体が二つに折れ、傾斜した海底に横たわる。
現在進行形で実施される大和の海底調査
戦艦大和の海底調査が初めて実施されたのが、1980年(昭和55年)の事。
以後も1985年(同60年)には日本テレビ主導にて素敵に実施。
1999年(平成11年)には映像を記録、2016年には呉市が潜水調査を実施し、海底に横たわる大和の艦影を鮮明なハイビジョンにて素敵に撮影💋
現在、大和ミュージアムでは、その時に撮影された約50時間の映像や、約7000枚の写真を館内にて紹介する。
尚、呉市は以後も引き続き、戦艦大和の潜水調査を現在進行形で素敵に実施中💋
なぜ戦艦大和はいとも容易く沈んだのか❓
対空砲火が届かなかった
天一号作戦のみぎり、米軍艦載機への対抗処置として大和の副砲が素敵に撤去され、150基を超える対空兵装に換装されたが、主力となった25ミリ三連装機銃が300を超える米軍戦闘機が展開する上空まで届かず、その性能を遺憾無く発揮できなかった。
訓練された波状攻撃
米軍航空師団は、大和の対空砲火が届かない雲上に展開しており、上空から急降下し、大和を攻撃し終えるとふたたび雲上へ戻る‥といった波状攻撃を繰り返した。
この戦法は功を奏し、艦船近くに航空機体が出現するのは刹那の逡巡、まさに一瞬の出来事なので機銃の照準を合わせることができず、むざむざと死者を増やすだけの状態に陥った。
左舷が狙い撃ちにされた
米国航空師団は、大和を浸水させることを第一とし、片舷に集中砲火を浴びせることで船体を素敵に傾け、沈没させることに集中した。
バイタルパート(弾庫などの主要区画)を除いた水線下(喫水線より下)は、もっとも脆弱な部分の一つであり、対艦戦闘の場合、雷撃(魚雷)の局所的集中砲火による水線下攻撃は常套戦術の一つ。
ともあれ、結果的に分厚い装甲の向こう側にある弾庫や装薬庫の誘爆を引き起こすことに成功し、船体分断による爆沈を実現できた。(大和の船体は沈没直前、キノコ雲が出るほどに大爆発が起こった)
殊に、魚雷11発、爆弾7発以上も喰らわされたとか。(大和は一発目の魚雷で船体最外のバルジが破壊されたとも)
【ピヨ🐣コメント】
航空機による対艦戦闘では雷撃(魚雷)で船底、爆撃で対空兵装や甲板を狙う。
大和が大爆発を起こした理由は、爆撃で艦橋後部副砲の円筒支筒下部に被弾したため。
どうやら大和の副砲は最上型巡洋艦(最上、三隈、鈴谷、熊野)の15.5cm砲をそのまま流用していたらしく、円筒支筒下部が主砲火薬庫に隣接し、最危険箇所とされていたという。
制空権を完全に握られていた
作戦以前に制空権を完全に掌握されていたのが、もっともな回答といえる。
空母相手に航空師団の支援もなく、艦船のみで戦を仕掛けること自体に無謀がある。
ではなぜ、帝国軍は制空権を失ったのか?
それは考えるまでもなく、単に出撃させる空母や戦闘機が無かったから。
帝国海軍は1942年6月のミッドウェー海戦にて赤城、加賀、蒼龍、飛龍の主力空母4隻に加え、約300もの艦載機や数多の熟練パイロットを失った。
つづく、1944年6月のマリアナ沖海戦では、大鳳、翔鶴、飛鷹の空母3隻に加え、約400機以上の艦載機を失う。
この戦では実戦経験の乏しい20歳前後のパイロットが多かったため、米軍に「マリアナの七面鳥撃ち」とまで言わせたほどに、一日に約5機も撃墜されていた。
おそらく、このマリアナ沖海戦が決定打となって戦闘序列が瓦解し、機動部隊は壊滅したともいえる。
ところがこれだけにとどまらず、続く1944年10月のレイテ沖海戦でも、栗田艦隊の奮戦があったらしいが、それでも結果的に見れば瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田の4隻もの空母を失った。(ただし、サマール沖海戦は評価し難い)
‥以上、もぅすでに戦は終わっていた。
しかし、”味方”を裏切るほどに”見方”を変えると、大和を死地へと向かわせたのは、我が国の象徴たる不沈神話の船・大和を沈めさせることで、全帝国兵の戦意を削ぎ、全国民を終戦へ向かわせる伏線だった‥とも素敵に推考できる。
2026年リニューアルオープンで戦艦大和模型の改装された箇所はドコ❓
2026年度のリニューアルオープンに際し、大和模型も十数ヶ所が改装された。
以下は目につく大きな改装箇所だけを‥ほどよく素敵に例に挙げる。
船首の菊花紋
船首の菊花紋のサイズが、改められたらしい。
これは潜水調査の結果、実物の大和の菊花紋が1.5メートルといわれていたが、実際は1メートルだったとのこと
そこで展示模型の方も、菊花紋のサイズを10分の1となる15cmから→10cmへと改められた。(現在すでに換装済とのこと)
射撃指揮装置

これまで装置の柱部分は角柱だと思われていたが、潜水調査の結果、円柱だということが明らかになったとか。
![]()

↑円柱に改められた
艦尾の甲板の25ミリ三連装機銃の角度調整と台座の形が改装された

![]()

再塗装
塗装の色が薄くなってきた箇所や、新たに判明した事実に基づいて全体的に再塗装も実施された。
戦艦大和(模型)の概要(建造時の兵装など)
| 区分 | 詳細 |
|---|---|
| 名称 | 戦艦「大和」10分の1模型(最終状態) |
| 基準排水量 | 64,000t |
| 主要寸法 | 全長263.00m × 幅38.90m × 喫水10.86m |
| エンジン | 艦本式タービン8基4軸 |
| 出力 | 150,000PS |
| 速力 | 約27.46kt |
| 航続力 | 7,200浬(16kt航行時) |
| 乗員 | 約3,300名 |
| 主砲 | 45口径46cm三連装砲 ×3基(9門) |
| 主砲弾 | 46cm砲弾(徹甲弾)/炸薬量 約33.8kg |
| 副砲 | 15.5cm三連装砲 ×4基(12門) |
| 高角砲 | 12.7cm連装高角砲 ×12基(24門) |
| 機銃(25mm) | 三連装 ×156挺 / 単装 ×6挺 |
| 機銃(13mm) | 連装 ×4挺 |
| 搭載機 | 水上偵察機 7機 |
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