【厳島神社の大鳥居の秘密】裏表で異なる扁額の文字の意味や理由とは❓誰が書いた❓

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大鳥居を間近で観るとその大きさを実感できるハズですが、鳥居が大きいので必然的に鳥居に飾られる「扁額(へんがく=鳥居の上部真ん中の看板)」も大きいサイズとなり、なんとぉぅっ!畳3枚分もの大きさがあります。

この扁額には金色で文字が書かれていますが、「海側」と「社殿側」で書かれている文字が異なるのをご存知でしたか?

ちなみに扁額とは、主に寺院や神社の門や鳥居の上部中央に掲げられた「文字が書かれた看板」のことです。

実は、この厳島神社の大鳥居の扁額には、以下のような謎の文字が刻まれています。

海側の扁額には「嚴嶋神社

↑扁額を下から見上げた所

↑立てるとかなりデカぃ!

社殿側には「伊都岐島神社

↑扁額を下から見上げた所

海側の「嚴嶋神社」は「厳島神社」のことなので容易に理解ができます。

しかし、社殿側の「伊都岐島神社」とは、どういった意味があるのでしょうか?

「伊都岐島」の文字の意味・由来と読み方

厳島神社の大鳥居・「伊都岐島」の文字の意味・由来と読み方

まず「伊都岐島」の読み方ですが、これは、「伊都岐(いつき)島」と読みます。

「伊都岐島」の文字の由来や意味は以下のようになります。

厳島は古来、「神を斎(かみをいつ)きまつる島」という意味で「伊都岐(いつき)島」と呼ばれていました。

意味は「神を崇めたてて祀る島=島そのものが御神体」となります。

これは、厳島神社の御祭神の宗像三女神の1柱である「”伊都岐島”=”市寸島”比売命(”いちきしま”びめのみこと)」に由来するものです。

「市寸島比売命」と言えば神仏分離令が発せられる以前では、仏教の「弁財天(べんざいてん)」、いわゆる弁天様と同一視されていた神様でもあります。

扁額の文字が変わった時期はいつ頃?「扁額の文字の変遷」

実はこの大鳥居の扁額の文字は時代を経る過程で推移していることは、あまり多くの方に知られていません。

これを時代の変遷で示すと次のようになります。

清盛再建当時(平安時代)

海側に「伊都岐島大明神」のみ

鎌倉時代

海側に「伊都岐島大明神」のみ

室町時代

社殿側に「伊都岐島大明神」、海側に「厳島大明神」

※注釈※室町時代に「伊都岐島大明神」が社殿側に移動。新たに海側に「厳島大明神」の額が据えられている。

江戸時代末期

社殿側に「伊都岐島大明神」、海側に「厳島大明神」

江戸時代末期以降、現代まで

社殿側に「伊都岐島神社」、海側に「嚴嶋神社」

【ピヨ🐣注釈】

江戸時代に「伊都岐島大明神」→「伊都岐島神社」。「厳島大明神」→「嚴嶋神社」に改められている。なお、扁額の位置自体は室町時代から変わっていない。

清盛造営時にあった鳥居扁額に「嚴嶋神社」は無かった⁉️

現在の神社の鳥居を見れば分かりますが、鳥居の扁額は元来、内側(社殿側)には設けず、外側に向けて参拝に訪れる者に見えるように掲げるのが通例です。

この事実を踏まえると、清盛公が大鳥居を造営した当時は海側のみに「伊都岐島大明神」の扁額が掲げられていたことが想像につきます。

室町時代から江戸時代末期に扁額の位置が大幅に変更された⁉️

平安後期以降、鎌倉時代を経て室町時代まで海側のみに「伊都岐島大明神」の扁額が掲げられていますが、室町時代から江戸時代末期にかけて扁額の位置が大幅に変更され、海側にあった「伊都岐島大明神」の扁額は社殿側に移動され、代わりに海側には「厳島大明神」の扁額が掲げられてい‥申す。えっ

江戸時代末期以降、現代にかけてさらに扁額の”大明神”の文字が”神社”へ改められ、社殿側に「伊都岐島神社」、海側に「嚴嶋神社」へと扁額が変更されています。

”伊都岐”の文字が清盛創建(再建)説の証拠?!

ところで、お気づきなった方もいると思いますが、社殿側の神社名”伊都岐”は少し変わった漢字の使い方がされています。これは一見すると「漢字の当て字」にもみえます。

これは「万葉仮名(まんようがな」という文字で書かれており、「万葉仮名」とは、「あ」「い」「う」など1音ずつに漢字を当てたものです。

万葉仮名は平安時代を境に使用されなくなり、以降、現在に至っては「平仮名(ひらがな)」・「片仮名(カタカナ)」が日常的に使用されるようになっています。

すなわち、この扁額に書かれた文字をもってしても清盛公が平安時代にこの厳島神社を創建したという例証の一つと素敵にいえる。




江戸時代の大鳥居の扁額文字を示す文献があった!!

江戸時代の「浮世絵師・歌川広重」が、1853年(嘉永6年)に描いた「六十余州名所図会」の中の「安芸 厳島祭礼之図」には厳島神社の大鳥居の扁額が描かれています。

そこには「伊都岐島大明神」の文字があります。

江戸時代の「浮世絵師・歌川広重」が、嘉永6年(1853年)に描いた「六十余州名所図会」の中の「安芸 厳島祭礼之図」に、鳥居の扁額が描かれて

上述したように江戸時代の扁額は現在と少し異なり次のような文字が書かれていました。

  • 海側には「嚴嶋大明神
  • 社殿側には「伊都岐島大明神

江戸時代の扁額を見ると海側・社殿側の扁額のいずれもにも現在の”神社”ではなく、”大明神”と書かれているのが分かります。

これは上述したように現在の「嚴嶋神社」という文字は1300年から1400年代(鎌倉時代後期〜室町時代)以降になってから書かれたものだとされ、それ以前の平安時代、つまり平清盛が再建(創建)した当時の扁額には海側に「伊都岐島大明神」と書かれた扁額のみが掲げられていただけだと云われています。

大鳥居の「扁額」を書いたのはいったい誰?

厳島神社・大鳥居の「扁額」を書いたのはいったい誰?普段は見ることが出来ないのですが、扁額の裏には「明治7年甲戌四月二品熾仁親王謹書」と記されているようです。

扁額は2つとも「江戸時代後期~明治時代」の皇族である「有栖川熾仁(ありすがわ たるひと)親王」による染筆です。

実はこの扁額は、有栖川親王が1875年(明治8年)に奉納されたものなのだそうです。

有栖川宮家(ありすがわのみやけ)」の歴代の当主は書道・歌道に秀で、有栖川熾仁親王は9代目当主にあたります。

戊辰戦争や西南戦争、日清戦争の指揮官を務めた人物ですが、皇女・和宮(かずのみや)の元婚約者としても知られています。

この和宮との婚約は、時の政治情勢によって後に反故(中止)になりました。

2020年に大鳥居の扁額が特別一般公開された❗️

⛩️期間:2020年10月20日〜2021年3月31日まで

実は当初、2020年12月13日まで公開期間だったが、意外にも好評だったらしく、3月末まで延長公開された。

⛩️展示場所:厳島神社境内の祓殿

⛩️公開時間: 6:30〜17:30/12月は17:00までだった

ところで……扁額の大きさはどれくらいある❓

↑大人二人分の身長ほどの高さが‥あっちゃぅ。

⛩️タテ長さ:2.6メートル(一般家屋の天井高くらいある)

⛩️巾:2.45メートル(ダブルベットの幅くらい)

⛩️重量:約150kg(成人男性2〜3人に相当)

扁額の材質

扁額の素材は木製の漆箔銅板装。

然るに木地に銅板を張り合わせ、その上から漆塗で文字に金箔を緊迫するほどに施して制作されたことに‥あ、なっちゃぅ。

なぜ銅板を貼るのか?

早い話が海中にある鳥居上部に飾られるので、雨風に加え、塩害にも対処する必要があり、木製では簡単に腐朽してしまうことが予測されたため。

上部の笠木の屋根も横なぶりの雨風には効果がなく、紫外線の遮光や湿気からも防護する必要が‥あっちゃぅ。

銅板は老朽化してくると緑青(ろくしょう)と呼ばれるサビの一種を表面へ生成し、内部を防護する作用が素敵に‥あっちゃぅ。(鉄よりもサビには強いが完全ではない)

漆は古くから社殿や堂舎、神輿、仏像などにも用いられ、防水、防腐の効果を有する。

あまつさえ、漆塗すると艶やかな光沢を放つなど見栄え的にも綺麗で、接着力もある。

社殿前扁額の解説

大鳥居扁額

当社の大鳥居は、明治8年(1875)の再建で、平安時代末期に平清盛公が造営した鳥居を初代とすると、8代目にあたると考えられています。

社殿側と沖側に、有栖川宮熾仁親王の御染筆(せんぴつ)による二面の扁額を掲げています。

額は、木製の漆箔銅板装で、縦2.6メートル、横2.45メートルです。

二面を掲げる形式となった経緯は明らかではなく、記録や実物が残るのは、4代目 組長とされる天文16年(1547)の大鳥居扁額からで、それ以前については詳らかではありません。…ん?組長??

社殿側扁額「伊都歧島神社」

社殿側に揚げられているもので、「伊都島神社(草書体万葉仮名)の文字が青銅製鋳物(せいどうせい いもの)で打ち付けられています。

「伊都岐島」とは「身心を清めて神に仕え奉る島であることを意味し、島の古い名称を踏襲しています。
額縁の彫刻は、屈輪模様の渦巻文と唐草文となっています。
裏面には有栖川宮熾仁親王の染筆であることが素敵に分かる、「明治七年 甲戌四月 二品 熾仁親王 謹書」との刻銘が‥あ、あっちゃぅ。

甲戌は干支の一つで「きのえいぬ」とも読み、二品(にほん)とは四品(しはん)まである親王の位階の第二等のことです。

沖側扁額「厳島神社」

沖側に掲げられているもので、「厳島神社(行書体)」の四文字が青銅製鋳物で打ち付けられています。

額面は鏡板を黒漆塗、緑取りをベンガラ朱漆とし、御神紋である三亀甲剣花菱紋と連珠文を銅板などで表しています。

額縁は黒漆塗で、上辺中央に宝珠、左右に屈輪模様の渦巻文と唐草文を配しています。
左右辺の彫刻は雲龍で向かって右が登り龍、左が降り龍です。
四方の蕨手状(わらびて)の飾りには銅板を被せています。

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