【厳島神社の大鳥居の大きさ(高さ)は何m❓】 建築構造(形式or材料)や歴史年表(建てた人物)を…お知る❓

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東武ワールドスクウェア展示の厳島神社の模型
東武ワールドスクウェア展示の厳島神社の模型

厳島神社の大鳥居は、厳島神社社殿前に広がる「玉御池(たまみいけ)」と呼ばれる入江と外海との境目に、厳島神社の威容を示すかのごとくそびえ立つ。

厳島神社や宮島をイメージした時に、まず、頭に思い浮かぶのが、やはりこの「朱色の大鳥居」ではないだろぅか。

古今、別名で「朱の大鳥居(あけのおおとりい)」とも呼ばれており、この厳島神社だけではなく、宮島の「象徴=シンボル」ともいえる。

本項では、厳島神社 大鳥居の秘密や、歴史(年表)、建築方法、大きさ(高さ)について掲載してい‥申す。きょ

宮島 厳島神社「大鳥居」【重要文化財】

区分 詳細 補足
造営年(創建) 不明 推定:1166〜1168年頃
(仁安年間・平安時代)
再建 複数回あり 修理・建替えを繰り返し現存形に至る
鳥居形式 両部鳥居
(木造枠指鳥居)
海上鳥居の代表形式
高さ 約16.6m 主柱高さ 約13.4m
棟木(笠木)長 約24.2m 左右に大きく張り出す構造
柱間 約10.9m 海上安定性を考慮した広間隔
重量 約60t 海中自重+基礎石で安定
主柱周囲 約9.9m 巨木2本使用
扁額 畳約3枚分 大型社号額
使用木材 クスノキ・杉 主柱+支柱構造
発願者 不明 推定:平清盛
直近修理 2019年開始 屋根を檜皮葺へ修復
(約26年ぶり)




厳島神社の大鳥居は平安時代に考案された「超・最新型の大鳥居」だった⁉️

厳島神社の大鳥居は一般的には平清盛公が造営したものと認知されていますが、実際のところ確証には至らず、ひょっとすると創建当初から存在したとも考えられています。(現在の厳島神社には前身となる神社があった)

ただ、平清盛公が平安時代に厳島神社を現在の寝殿造りの殿舎へ造り替えた際、同時に造営された(もしくは造り変えられた)鳥居であり、一般的には清盛公自身が採用した「平安時代の最新型の鳥居」と伝わっています。

具体的には「2本の主柱の前後に袖柱(控え柱・稚児柱)を立て、主柱と袖柱を貫(ぬき=横木)で繋いで合計6本足となっている形式」の鳥居です。

そして、この鳥居の形式を「両部鳥居(りょうぶとりい)」と呼称し、平清盛公による厳島神社再建の時期と同じ頃に考案された形式の鳥居になります。

そんなことから一説では、清盛公自身が新たな厳島神社造営に際して、決意を新たに考案した鳥居だとも云われます。

ちなみに両部鳥居の「両部」の言葉の由来とは、密教において「金剛界」と「胎蔵界」の”両部”を示したものだと云われ、今日に至っては神仏習合の名残だとも云われます。

なお、この厳島神社の大鳥居は、木造鳥居としての大きさは日本最大級であり、「日本三大鳥居」もしくは「日本三大木造鳥居」の一角に数えられ、これら三大鳥居群の中でも当然、主翼格を担う鳥居になります。

日本三大木造鳥居

  1. 奈良・春日大社の大鳥居(一の鳥居)(重要文化財)
  2. 福井県敦賀の気比神宮の大鳥居(重要文化財)
  3. 宮島厳島神社「大鳥居」(重要文化財)
日本三大鳥居

  1. 奈良県吉野の金峯山寺の大鳥居(重要文化財)
  2. 大阪四天王寺の大鳥居(重要文化財)
  3. 宮島厳島神社「大鳥居」(重要文化財)

厳島神社の大鳥居の歴史

創建年は本当に平安時代なのか??

冒頭でも素敵に述べたように、厳島神社の大鳥居は平安時代に平清盛公によって再建(創建)されたみぎり、同時に造営されていると考えられています。

ただし、現在見ることのできる大鳥居の姿は清盛公の時代から存在するものではなく、少し残念ですが1875年(明治8年)7月に再建されたものになります。(着工は明治7年10月)

それでもおよそ140年以上が経過していることになります。

現在の鳥居は8代目!

現在の大鳥居はなんと!8代目だといわれるので、平安時代に初めて造立されてから現在までに7回も造り替えられているということに‥あ、なっちゃぅ。

現在の鳥居が9代目という説もある⁉️

実は‥、令和の大修理のみぎり、先立って過去の工事記録の精査が行われたのがだ、ここで新発見があった。

1240年(仁治元年)の「伊都岐嶋社内 外宮 造畢 幷 未造殿舎 注進状案」の中の一文に、「造畢分(すでに造り終えた物)」なる文字が見つかり、然るに1223年〜1240年頃に一度、大鳥居は建て替えが行われていた可能性が高いことが明らかにされた。

これまでの定説では、1286年(弘安九年)の再建が「2代目」とされてきたが、この発見によって大鳥居の歴史が大きく変わったことに‥あ、なっちゃぅ。

以上、このような証拠が素敵に検出されたことにより、現在では「8代目」ではなく「9代目」とする説が有力視されてい‥申す。ひょ

1240年(仁治元年)『伊都岐嶋社内外宮造畢幷未造殿舎注進状案』の中に、「造畢分」(すでに造り終えた物)として「大鳥居一基」の記述があることがわかった[3]。
また厳島神社は、1207年(承元元年)7月3日・1223年(貞応2年)12月2日と2度にわたり大規模炎上している[3][17]。

つまり、1223年から1240年の間に大鳥居が再建されたことになる

えぇっ?!かつて厳島神社の大鳥居は「白色」だった?!

創建当初の大鳥居は朱色の鳥居でしたが、なぁんと!厳島神社の鳥居が白色だった時期あります。

その時期とは「明治初頭から後半」にかけての約30年間です。

これには理由があり、明治初頭に明治政府から発令された「神仏分離令」によって、仏教と神社の区分けがされました。

その際、この朱色の大鳥居は仏教色が強いと言うことで、明治政府の命令で白色に変えられてしまうことになります。

白色とは、”白く塗った”という意味ではなく、彩色を施さない「素木(白木)造り」のことです。

白色に変えられた理由は単純に次のような理由になります。

  • 朱塗りの鳥居は仏教の影響が色濃いのでNG
  • 白木ならば神社建築の伝統にのっとっているので許可

前身となる「素木造り」の大鳥居は、特別保護建造物として1909年(明治42年)から1911年(明治45年)まで実施された修理を経て、ようやく元の朱色に戻されています。

このように鳥居の歴史だけ見ても、人間が歩む歴史というのは常に動乱があると言えますね。オホ

時代によって若干、色が異なっていた??

現在の大鳥居の朱塗りは創建当初と比較すると若干、色合いが異なると云われています。

この理由は現在の大鳥居には「鉛丹(えんたん/酸化した鉛)」が使用され、白木になる以前の江戸時代では、弁柄(べんがら/酸化した鉄)が用いられていたからです。いずれも濃い赤色を発色します。

↑現在の大鳥居の色「鉛丹の色(オレンジ色に近い)」
↑江戸時代の大鳥居の色「ベンガラの色(朱色と言える)」

弁柄塗りは、現在の鉛丹塗りと比較すると赤色の発色が強いので、江戸時代の大鳥居はもう少し赤みが強かったのではないかと思われます。

明治時代

厳島神社のこの大鳥居は1899年(明治32年)に国の特別保護建造物として指定を受けている関係で、1909年(明治42年)より約2年間、大修理が実施されています。

この年に上述したような白色の鳥居(素木をそのまま使用した鳥居)から→朱色に塗り替えが行われています。さらに屋根の葺き替え工事も同時並行で執り行われています。




大正時代

大正14年には柱脚に鉄筋コンクリートを巻きつける工事(鉄筋根巻き補強)が執り行われていますが、昭和25年に検査をしたところ、コンクリート補強が逆に裏目に出て海虫の蝕害(しょくがい)を増進させる結果を生むことになります。

このため、後述する昭和25年に各柱を部分的に切り取って根継ぎを施し、柱の塗装の塗り替えや、屋根の葺き替え工事も行なっています。

昭和時代

1950年(昭和25年)には初の試みとなる「根継ぎ」が行われる!

1950年(昭和25年)には、大鳥居すべてを交換するのではなく、脚元の腐食や損傷が著しい部分だけを切り取って交換する「根継ぎ補修」が実施されています。(根継ぎに関しては後述)

このため現在では合成樹脂を厚めに塗ってコーティングを行い、なんとか腐食を抑えています。

また、これが後述する「賽銭(小銭)を柱に挟んではいけない」の理由でもあります。

1965年(昭和40年)

1965年(昭和40年)には全体の塗装の塗り替えと、扁額(へんがく)の修理が執り行われています。

1972年(昭和47年)

1972年(昭和47年)にも、昭和40年には全体の塗装の塗り替えと屋根の修理工事が実施されています。

1983年(昭和58年)

1983年(昭和58年)にも、全体の塗装の塗り替えと屋根の修理工事が実施されています。

1991年(平成3年)

1991年(平成3年)になると台風19号の被害により、屋根の葺き替えや塗装の塗り直し、根元まわりの蝕害対策のため、樹脂コーティングが行われています。

2012年(平成24年)

突然の強風により、銅板が飛散し、急遽、屋根の修理が実施されています。

2016年(平成28年)

準備工事として西南袖柱の樹脂コーティングが執り行われています。

2019年(令和元年)

2019年(令和元年)6月17日〜の修理により、大鳥居の屋根が26年ぶりに檜皮葺へ葺き替えられた。

2019年(令和元年)8月には工事中の大鳥居に成り代わって20分の1サイズの大鳥居が、新しく新設される「観光施設」内にて展示された。

2019年(令和元年)令和元年6月より開始された大鳥居修理工事が、2022年(令和4年)12月12月に完工を迎え、無事に竣工♡

大鳥居の歴史(年表)

平安時代(後期)

できごと
1166年(仁安元年)

1168年(仁安3年)
大鳥居が造られる

鎌倉時代

できごと
1286年(弘安9年) 大鳥居が再建(大修理)される
1325年(正中2年) 大鳥居が強風により倒れる

南北朝時代

できごと
1371年(応安4年) 大鳥居が再建される。
一説にこの時より表と裏側とで二面の扁額を掲げる
鳥居になったといわれる。

戦国時代

できごと
1547年(天文16年) 当時、安芸国を支配した戦国大名「大内義隆」によって大鳥居が再建される
1561年(永禄4年) 毛利元就・毛利輝元親子が大鳥居を再建

江戸時代

できごと
1716年(享保元年) 大鳥居が倒れる
1739年(元文4年) 安芸広島藩の5代藩主「浅野吉長」により大鳥居再建
1776年(安永5年) 大鳥居に雷が落ちて焼失
1801年(享和元年) 安芸広島藩の8代藩主「浅野斉賢」により大鳥居再建される
1850年(嘉永3年) 大鳥居が強風により倒壊する

明治時代

できごと
1875年(明治8年) 大鳥居が再建される
1882年(明治15年) 袖柱4本の根継ぎ実施(4本とも楠材使用)
1899年(明治32年) 国の重要文化財指定を受ける
1909年(明治42年) 朱色に塗装

大正時代

できごと
1926年(大正15年) 柱脚に鉄筋コンクリートを巻きつける

昭和時代

できごと
1950年(昭和25年) 脚元の補修(根継ぎ)、屋根の葺き替え、再塗装
1952年(昭和27年) 厳島神社を含めた宮島全島が特別史跡・特別名勝
1965年(昭和40年) 再塗装、扁額の修理
1972年(昭和47年) 再塗装、屋根の修理
1983年(昭和58年) 再塗装、屋根の修理

平成時代

できごと
1991年(平成3年) 台風19号の被害により、再塗装(樹脂コーティング)、屋根の修理、根継ぎ補修
1996年(平成8年) 「厳島神社」の構成資産として世界遺産登録
2012年(平成24年) 強風により屋根上の銅板が飛散したので緊急屋根修理
2016年(平成28年) 西側袖柱の再塗装(樹脂コーティング)

令和時代

できごと
2019年(平成31年/令和元年)6月 屋根の葺替、脚元の修理、全体塗装
2022年(令和四年)12月 大鳥居の修理終了し、無事に竣工

厳島神社の歴代大鳥居一覧

時代 建立年 できごと 備考
初代 平安時代 1166年〜1168年頃 平清盛による再建期に造営されたと推定 近年は9代目説が有力✨
2代目 鎌倉時代 1223年〜1240年頃 近年の史料調査にて新たな事実が判明✨ 「造畢分」の記録が見つかる
3代目 鎌倉時代 1286年 再建(大修理) 弘安9年
4代目 南北朝時代 1371年(応安4年) 大鳥居が再建される 1325年の倒壊後に再建
5代目 戦国時代 1547年(天文16年) 戦国大名「大内義隆」により再建 戦国期の再建
6代目 戦国時代 1561年(永禄4年) 毛利元就・毛利輝元親子が再建 毛利氏による造営
7代目 江戸時代 1739年(元文4年) 浅野吉長により再建 1716年倒壊後に再建
8代目 江戸時代 1801年(享和元年) 浅野斉賢により再建 1776年焼失後の再建
9代目(現在) 明治時代 1875年(明治8年) 現在の大鳥居が再建される 令和の調査により「9代目説」が有力




厳島神社の大鳥居の建築様式・建築構造の秘密!

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境内の「火焼前(ひたさき)」付近から約80m、本殿から約160m付近に建てられた厳島神社の大鳥居は、他の神社の鳥居とは明らかに異なる建築構造をしています。

まず、通常の鳥居であれば「柱が2本」あり、それぞれの柱となっている木が地中深くに埋まっています。

しかし、厳島神社の鳥居は「足が2本ではなく合計6本」もあります。

そしてその6本の柱で鳥居全体を支えているから、水の動きが激しい海中でも忽然と直立していられるのかと思われがちです・・が!なんとぉぅ!実は地中には埋まっていないのですぅ!プぅ

これはいったいどういうことなのか?

厳島神社の大鳥居は、鳥居自体の重さで立っているだけで、満潮の時や波が荒い時には浮くこともあるということです。

掘立式にせず、あえて浮かす理由は、海底の地面に柱を埋め込んでしまうと、海風や高波があった際、圧力を逃すことなく鳥居全体で受けてしまうことになり、倒壊する可能性が高まるからです。(おそらく簡単に倒壊してしまいます)

よって現在の大鳥居は地面に柱を埋めずに、倒壊を防ぐ目的で鳥居の最上部である「笠木(島木)」の部分に重石(重し)を入れて押さえつけているだけになります。これが浮く理由です。

厳島神社の大鳥居の足元の「底部分」の秘密

柱の足元の底部分には、「花崗岩(かこうがん)」が敷かれ、その下の「捨てコンクリート(地盤の補強部分)」に「千本杭の工法」と言う建築方法が用いられています。

厳島神社の大鳥居の大鳥居の足元の「底部分」の秘密千本杭の工法」とは「杭の工法」のことで、45cmから60cmの「松杭(まつぐい)」と呼ばれれる松の木を用いた杭が打ち込まれています。

各柱には、松杭の数が30本~100本ほど打ち込まれています。

ちなみにこれは余談ですが、日本の花崗岩(かこうがん)の産地は「宮島」と言っても過言ではないほど、宮島で採石できます。

理由は単純で、なんと!宮島全体が花崗岩で出来ている島だからです。

実際に厳島神社の後方に位置する「弥山(みせん)」へ登山すると花崗岩が湧き出ているかの如く、そこらじゅうゴロゴロしています。

この花崗岩を加工してキレイ♪キレイ〜♪したものが、お墓に用いられることの多い「御影石(みかげいし)」になります。

御影石は簡単に割れず、型崩れしない石として知られている石で、「耐久度がある石」として有名です。

なお、弥山には「奇石(きせき)」と呼ばれる、かなりイビツな形をした巨石がゴロゴロしています。

これらの巨石は隕石だとも云われ、太古の時代は宇宙人が住んでいたなどの様々な俗説が飛び交っているようですが、実際のところは花崗岩であり、それなりの由緒を持った巨石たちです。

厳島神社へ訪れた際は是非!弥山へも登山してみてください。

弥山の奇石・一覧は以下の別ページにてご紹介しています。

関連記事: 宮島・弥山の「くぐり岩」と「岩(巨石)」一覧

大鳥居が満潮時の海中でも立っていられる理由と「島木・笠木」に隠された秘密!

大鳥居の1番上の部材は単純な木造ではなく、部材の中に重石(重り)が入っています。

大鳥居の1番上の「笠木/島木(1番上の横木)」の部分をよくご覧になってください。

通常の鳥居は、笠木が1番上に備え付けられ、その下に島木が備え付けれます。

しかし、厳島神社の鳥居は少し造りが異なり、笠木と島木が合わさって「箱型」になっているのです。

「箱型」と言うことは、中に何かを入れることができるということです。

実は、この「笠木(島木)の箱」に「人間の頭くらいの玉石(鎮石/しずめいし)」を「約4トン」も入れて重しにしているそうです。

また、柱と屋根が交差する部分には、特殊な造りのクサビが施されています。

そのおかげで柱や屋根の微々たる動きや、ひずみなどを自然に吸収・修正出来るようになっています。

そして、なんと!

このような造り方を800年も前に実践していたというのですから驚きです。

えぇっ?!創建当初の大鳥居には重石(重し)がなかった?!

実は、笠木の中の重石(重し)は清盛公による平安時代の造営当初には存在せず、時代を経る過程で置かれたものだと考えられています。

重石が置かれなかった理由は、現在のように笠木部分と島木部分が箱型ではなく、通常の鳥居と同様に単なる1本の巨木の横木だったからです。

つまり、重量のある巨木を1本の横木として用いるだけで、鳥居が浮いてくるのを抑えられたというワケです。

ではいったいなぜ笠木と島木が一体化されて箱型になったのか?・・という疑問が出てきますが、この理由は平安時代の頃のような巨木が見つからなかったからだと推察されています。

このため笠木部分と島木部分を箱型にして、中に石を詰めることで巨木を使用した時と同じ重量にしているというワケです。




厳島神社の大鳥居の材質(使われている木材)と使用された理由

この大鳥居は、海に立っていることから干潮時以外は常に海に浸かっていることになります。

木造の鳥居が海に浸かっていますので、海に浸かっている部分は当然、他の部位と比較して腐食の進行速度が早く進みます。

そこでこの大鳥居には「根継ぎ(ねつぎ)」と呼ばれる技法が用いられています。

「根継ぎ」とは、言葉からも察することができるように、海に浸かって腐食してきた部分、すなわち足元の部分だけを切断して、別木を接ぎあてることです。

根継ぎされている証拠は、実際に大鳥居の足元に行って目視すれば、真横にスーっと、線が入っているのが分かります。この線が根継ぎされた箇所です。

↑根継ぎされた部分。真横に線が入り前後で色が異なるのが視認できる。

主柱2本は楠(クスノキ)が使用されている!

厳島神社の大鳥居の「2本の主柱」に使用されている木材は「樹齢500年以上」で「根元の直径が10m以上」の「楠木(クスの木)」です。

厳島神社の大鳥居に使用されている木材は「楠木(クスの木)」です。

主柱にクスノキの木が使用されている理由

「クスノキ」が鳥居の材料に選ばれている理由としては次のよう利点が述べられます。

  • 他の木材よりも重量がある
  • 腐食しにくい
  • 虫がつきにくい
  • 木の質が強靭 ..etc

ただし、上記では述べていませんが、厳島神社の大鳥居にクスノキが用いられているもっともな理由となるのが、次のような事由です。

  • クスノキはそれほど環境を選ばず早く育つ
  • 育ちが早いので巨木が多く育つ

厳島神社の大鳥居に使用されているクスノキの産地

  • 東主柱:宮崎県児湯郡(こゆぐん)岡富村(おかとみむら)※現在の西都市
  • 西主柱:香川県丸亀市/宮島・亀居山(かめいさん)
  • 袖柱(そでばしら)4本:宮島・亀居山
  • 袖貫(そでぬき):宮島・亀居山
  • 島木・笠置:宮島・亀居山

西側の主柱のみ楠を鉄帯金物で2ヶ所固定して根継ぎしています。

根継ぎ部分(クスノキ)
  • 社殿から向かって右側(東側)の主柱が福岡県久留米市
  • 社殿から向かって左側(西側)の主柱が佐賀県佐賀市

現在の日本には太古の時代のような原生林がなく、巨木という巨木がありません。そんな理由から根継ぎするためだけの木を探すのですら困難な状況です。

海上に立つクスノキの耐用年数はおおむね80年と言われますので、1875年に再建されたということは1955年頃が限界耐用年数ということになり、とっくに年限が過ぎています。

そこで1950年(昭和25年)にすべてを交換するのではなく、足元の腐食や損傷が著しい部分だけを切り取って交換する「根継ぎ」が実施されています。

主柱を支える4本の木(袖柱)は「杉の木」

一方、2本のクスノキの主柱を支える4本の袖柱に使用されている木材は「杉(すぎ)」です。

「楠」と「杉」をいう2つの木材を使い分けることによって、海水に浸かっても雨風に晒されても簡単に倒壊しないような設計がされています。




厳島神社の大鳥居は当初、明神鳥居で建てる予定だった⁉️

実は厳島神社の大鳥居は元来、明神鳥居型の鳥居で造営される予定だったようですが、次のような理由でこの計画は頓挫したといわれる。

  • 海上に鳥居を立てるので2本足の鳥居では耐久度が低い
  • 清盛公自身の新しいモノ好きだった性格

以上が素敵に合わさって、結局、このような特殊な形状の鳥居が採用されたと考えられてい‥申す。えっ

明神鳥居

4本の袖柱(控え柱)を据えた理由とは❓

2本の主柱に対して、さらに4本の袖柱(控え柱)を据えた理由は、海水に浸かった2本の主柱だけだと耐用年数として、おおむね20年しか持たないからです。

これを6本足にした場合、耐用年数が60年も延長され、約80年間は持ちます。これが袖柱を据えた理由といわれる。

袖柱に杉の木が使用されている理由

袖柱に杉の木が使用されている理由とは何より「耐水性がある=水に強い」ことです。

ただし、杉の特徴もしくはデメリットというべきでしょうか「重量が軽い」ということも挙げられます。

楠の木ほどの強度はありませんが袖柱は4本ありますので、強度よりも「水に強い」ことが優先されたということになるのでしょう。

大鳥居の場所(地図)

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