宮島🦌清盛神社の御朱印・歴史と境内見どころを….0.2センチでも知りたいと願った❓

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宮島 清盛神社【厳島神社境外・摂社】

創建年

  • 1954年(昭和29年)
建築様式(造り)

  • 切妻造
  • 平入
  • 縁側高欄付き
屋根の造り

  • 桧皮葺
鳥居の種類

  • 明神鳥居(材質:銅)
御祭神

  • 平清盛
神事

  • 3月20日(清盛神社まつり)
社格

  • 厳島神社「境外・末社」

厳島神社・清盛神社の読み方

清盛神社は「きよもりじんじゃ」と読みます。

清盛神社の名前の由来

清盛神社の「清盛」とは、平安時代後期の日本を実質上支配した「平家(平氏)」の総大将・平清盛をお祀りした神社であることからこの名前が付されています。




厳島神社・清盛神社の歴史・由来

上述のように、これまで厳島神社には現在の厳島神社の景観を造り上げた平清盛公を単独でお祀りした社がありませんでした。

そこで、厳島神社を含めた地元の人々の声が、平清盛公の没後、奉斎770年を記念して1954年(昭和29年)に「社」が創建される運びとなります。

平家の過去の歴史を顧みれば、平清盛が生存中に繁栄を極め、平清盛の死去と共に勢力が弱まり、次第に源氏に権力を奪われて没落して行きます。

やがて、源氏が平家から政権を奪い取り源氏が台頭する鎌倉時代に入り、その後すぐに足利一族が台頭する室町時代に入ってしまったため、以後、平家が再び栄華を取り戻すことはありませんでした。

つまり、厳島神社の造営に関しての最大の功労者である平清盛公を祀る社がこれまで築かれるチャンスが無かったことになります。

清盛神社の御祭神「平清盛」

盛神社の御祭神は上述のように「平清盛公」です。

平清盛公は伊勢地方を統治した伊勢平氏の棟梁である平忠盛の嫡男として生を得た武将です。保元の乱の活躍により、時の天皇である後白河天皇の信任を得、その後に起こった平治の乱の勝利により、武士としては初例となる太政大臣にまでのぼりつめ確固たる地位を築き上げます。

また、日宋貿易を牛耳り、宋銭を日本国内で流通させ、平氏のゆるぎない財政基盤と権力を築き上げることに成功します。

この日宋貿易により得た財力を背景に、貿易の拠点となった日本初とも言われる人工の港「博多港」からこの厳島神社および宮島を通る輸送航路を定めます。

そして1168年(仁安3年)頃に厳島神社を再建し、現今に見られるような世に2つとない君のポニーテールから垣間見える”うなじ”のようなそれはそれは美しい朱色の寝殿造りの社殿を海上に造営します。

以後、清盛は厳島神社を心から崇拝し、平家の興隆を海上輸送の際の海上交通の安全祈願をこの厳島神社にて祈願し、自らと平家一門の氏神社と位置付けるのです。

平清盛公は実は全く別の神社で祀られていた?!

上述した通り、平清盛公を単独で祀った「社」こそ無かったのですが、実は同じ宮島内に位置する「三翁神社(さんのうじんじゃ」の「右殿」には平清盛公が合祀されていました。

「三翁神社」は、「近江国の山王社(現在の滋賀県の日吉大社)」から、御祭神の分神を勧請して平清盛公が平安後期に造営した神社です。

%e4%b8%89%e7%bf%81%e7%a5%9e%e7%a4%be↑宮島・三翁神社(画像引用先:厳島神社ホームページ

明治時代初頭に、政府からの命令によって宮島中にあった「小さな社」や「小さな祠」で祀られていた御祭神はすべて三翁神社へまとめて合祀された歴史があります。

それらの祭神に混じって清盛公も合祀されたことから、祀られていた事実を知らない方も多いと思われます。

その後、昭和29年までこの様相は続きましたが、西の松原(にしのまつばら)の先端付近に清盛公を祀る「社(現在の清盛神社)」を造営し、完成後に清盛公の御神体を三翁神社から勧請し現在に至っています。

【補足その1】「西の松原」とは?

「西の松原」とは、江戸時代に造営された防波堤のことです。厳島神社の真後ろを流れる「御手洗川」の河口付近に蓄積された「土」や「石」を海辺に延長する形で積み上げたことによって現在のような長細い形状になりました。

西の松原が現在の清盛神社の位置まで埋め立てられたのが1739年(元文4年)のことです。それから後、1945年(昭和25年)に枕崎台風(台風16号)の影響により土石流が再び起こって御手洗川の河口付近に土砂が蓄積することになります。

この土砂を清盛神社の先に運んで陸地としたのが、現在の西の松原です。

現在の西の松原には、石造りの燈籠が立ち並んで美しい砂が敷かれ、宮島の美しい景観を構成する一翼を担っています。

【補足その2】土石流対策

現在の厳島神社や宮島の景観を見て想像もつきませんが、元来、宮島厳島神社の立地柄、数十年から数百年周期で土石流が発生していました。

1度、土石流が発生してしまうと、たちまちのうちに厳島神社の社殿群が飲み込まれてしまうことになります。しかし近代に差し掛かってから厳島神社にまつわる土石流の話は聞きません。

実はこれには理由があり、なんと!土石流への対策が取り計らわれているからです。

たとえば、厳島神社の本殿裏を流れる御手洗川などは、土石流を防ぐために川にコンクリートが埋め込まれて段差がつけられています。

紅葉谷から弥山へ登られる際はチラ見でもいいので是非!川をご覧になってみてください。大自然が生み出した渓流に見えますが、石がコンクリートで固められて段差が付けられているのが分かるハズです。

このような段差をつける工事はおよそ1948年(昭和23年)から1950年(昭和25年)にかけて執り行われ、段差を設けることによって土砂のなだれ込みを予防しています。




清盛神社では御朱印をいただけない!

清盛神社では残念ながら御朱印を授与していません。したがって”無い”ということになります。

上掲の写真を見れば分かる通り、敷地内に社務所を設営して御朱印待ちされる方のスペースを確保するだけの土地面積がないことがお分かりいただけるハズです。

もし授与されるとしたら、おそらく厳島神社内の社務所にて厳島神社の御朱印と併せて授与されることになるでしょう。

厳島神社・清盛神社の場所(地図)とアクセス

清盛神社は、厳島神社の出口(西回廊)から出て、左へ少し歩いた西の松原の先端に位置しています。

  • 厳島神社の出口(西回廊)から清盛神社までの所要時間:徒歩約5分、距離:約400m

清盛神社への参拝後には清盛茶屋へ!

清盛神社の参拝後には、その背後にある清盛茶屋へ立ち寄ってランチを楽しむこともできます。

清盛茶屋の詳細については下記ページにて。

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