広島県宮島・厳島神社の歴史(大鳥居・寝殿)を簡単に年表形式にてご案内

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広島県宮島・厳島神社の歴史・建築様式(大鳥居・寝殿造り)を簡単に年表形式にてご紹介!

厳島神社は「海の中に鳥居がある」ということは有名ですが、なぜ海の中に鳥居が建てられたのでしょうか?

このように宮島・厳島神社の歴史には、知りたい謎が多く、またその事実を詳しく知る方は少ないと思います。

ここでは、このあまり知られていない厳島神社の歴史について解説していきたいと思います。

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厳島神社はなぜ海に建てられたの?

厳島神社は6世紀後半に、当時の宮島の一帯を治めていた豪族・「佐伯鞍職(さえき の くらもと)」の手により創建されたと伝わっています。

以降、現代に至るまで、厳島神社の神主は佐伯鞍職(さえき の くらもと)の子孫である佐伯氏が代々、神主と言う形で子々孫々、この宮島・厳島神社を守り続けています。

では、なぜ厳島神社は宮島の陸地部分ではなく、海辺に建てられたのでしょう?

それはこういった理由からです。

厳島神社のある宮島は、昔から島自体が「神」として信仰されてきました。

宮島全土に神が宿っていると考えられた為、この宮島の地の木を切ったり、土を削ったりすることによって、宮島の地を傷つけてはならないと考えていました。

その為、この土地を傷つけることを避けるために宮島の陸地部分ではなく、海に厳島神社の社殿や鳥居が建てられたと考えられています。

厳島神社の建立後、どんな歴史があって厳島神社は有名になったの?

平安時代の初頭、厳島神社は朝廷からの使者が下向するような由緒正しき社格をもった崇高な神社として崇敬が寄せられており、これらの証拠は当時の風情を示す「延喜式(えんぎしき)」や「日本後記(にほんこうき)」と言った古文書でも垣間見ることができます。

ただし、厳島神社の名前が本格的に全国区になったのは、平清盛が初めて厳島神社へ詣でた1160年(永暦元年)以降であると言えます。

以降、厳島神社は平清盛(平氏)の出世と共に、名前が広まって行くことになります。

現在に至るまでの厳島神社の社殿のほとんどは清盛を筆頭とした平家一門の寄進によって、修造や造営が繰り返されてきた歴史があります。

その中でも、もっとも大きな造営・修造となったのは清盛が「太政大臣」になってからの平安時代末期である1168年(仁安3年)です。

清盛はそれまでの武家では前代未聞と言われた「太政大臣」にまで大出世を果たします。

この時の清盛は、天地が引き裂けるほど大喜びしたそうで、同時に厳島神社の御祭神に心から感謝し、現代にまで伝わる国宝「平家納経(へいけのうきょう)」を収めると共に、社殿の大造営を行い「回廊」を備えた朱色が美しく輝く「寝殿造り」の社殿へ造り替えています。

ただし、残念ながら現在見ることのできる社殿は、清盛が造営した頃の社殿ではなく、正式には本殿が1571年(元亀2年/室町時代後期)、その他の社殿群が1236年(嘉禎2年)に再建された時の姿でものであると伝えられています。

尚、軽度な補修や修繕は現代に至るまで繰り返し行われており、大規模な造営や修造はないと言った解釈になります。

記録では、厳島神社は鎌倉期に2度、火災にあって社殿群が焼失しており、焼失の都度、再建が繰り返されてきたとの記述が残っています。

平氏の栄華と共に発展と遂げてきた厳島神社ですが、平氏が源氏に滅ぼされた後も源氏からの崇拝を受けていますが、かつてほどの崇敬はなくなり、次第に衰退していきました。

しかし、それからしばらく後の1555年(戦国時代)、中国地方の覇者「毛利元就」が「厳島の戦い」で「陶晴賢(すえはるかた)」に勝利したことで、厳島神社に新たなスポンサーが現れることとなります。

水軍にも重きを置いた元就は、海上の神を祀る厳島神社に厚い崇敬を寄せ、今度は元就を筆頭とした毛利家の寄進を受けて、次第に厳島神社は元の美しい朱色の姿を取り戻していくことになります。

その後さらに天下人・豊臣秀吉の崇敬を受けることになり、より一層、厳島神社の名前が有名になって行くことになります。


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宮島・厳島神社の「簡単な年表 」

歴史
593年(推古元年) 現在の広島県・宮島の地域を収めていた豪族・佐伯鞍職(さえき の くらもと)が、水の神とされる「市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)」の神勅を受け、現在の「御笠浜(みかさのはま)」に社殿を建立したのが創建と伝わる
811年(弘仁2年) 伊都岐島神(厳島神社の神)が朝廷(天皇)からの奉幣(お供え物)を受ける社格に認められる
806年(大同元年) 大師・空海が唐より帰国した後、厳島神社へ立ち寄り弥山を開山する
927年(延長5年) 延喜式神名帳に「伊都岐島神社名神」の記述を授かる
1146年(久安2年) 平清盛が安芸守(あきのかみ)に任ぜられる
1164年(長寛2年) 厳島神社宝物館所蔵の国宝「平家納経」が完成する
1167年(仁安2年) 平清盛が太政大臣に任ぜられる
1168年(仁安3年) 平清盛が現在の姿である寝殿造りにて改築・造営。
1169年(慶応2年) 厳島神社宝物館所蔵の国宝「紺紙金字法華経」が完成
1173年(承安3年) 後白河法皇が宝刀を奉納
1174年(承安4年) 後白河法皇が厳島神社へ下向し参拝される
1179年(治承3年) 平清盛により厳島神社の社格を「二十二社」の社格へ上げる意見が出る(結果的にならず)
1180年(治承4年) 高倉上皇が厳島神社へ下向し参拝される
1207年(承元元年) 7月3日に厳島神社が火災に見舞われ社殿焼失
1215年(建保3年) 安芸国からの年貢を得て社殿が再建される
1223年(貞応2年) 12月2日、再び厳島神社の社殿が火災に見舞われ社殿焼失
1235年(喜禎元年) 社殿が再建される。外宮が完成
1236年(嘉禎2年) 社殿が再建される。本宮が完成
1240年(仁治元年) 鎌倉幕府第4代目征夷大将軍「藤原頼経」が太刀を奉納する
1278年(弘安元年) 一遍上人が厳島神社へ参拝に訪れる
1286年(弘安9年) 大鳥居が再建される
1325年(正中2年) 大鳥居が倒壊する
1371年(応安4年) 大鳥居が再建される
1389年(康応元年) 足利義満が参拝に訪れる
1407年(応永14年) 重要文化財である「五重塔」が創建される
1540年(天文9年) 大内義隆が配下の陶晴賢と共に参拝に訪れる。燈籠を奉納
1541年(天文10年) 海賊が厳島神社へ襲来し大内義隆の軍勢が退ける
1541年(天文10年) 海賊が厳島神社へ襲来し大内義隆の麾下の軍勢が退ける
1555年(弘治2年) 厳島の戦いで毛利元就が陶晴賢に勝利する。中国地方の雄・毛利元就が厳島神社を改築・修復。
1556年(弘治3年) 4月に毛利元就の嫡子「毛利隆元」が天神社(重要文化財)を建立。6月には毛利元就が回廊を修繕する
1561年(永禄12年) 毛利元就・隆元の親子が大鳥居を造営し寄進する
1571年(元亀2年) 厳島神社の本殿、造営される
1587年(天正15年) 千畳閣(重要文化財)が創建される
1592年(天正15年) 太閤 関白秀吉が厳島神社へ参拝する
1598年(慶長3年) 関白秀吉の懐刀石田三成が厳島神社へ参拝する
1680年(延宝8年) 能舞台(重要文化財)が造営される
1716年(享保元年) 大鳥居が倒壊する
1776年(安永5年) 大鳥居が雷により炎上する。
1802年(享和元年) 浅野斉賢が大鳥居を再建する
1850年(嘉永3年) 大風により大鳥居が倒壊する
1871年(明治8年) 厳島神社の社格が国幣中社へ昇格する
1875年(明治8年) 大鳥居が再建される
1911年(明治44年) 厳島神社の社格が、今度は官幣中社へ昇格
1913年(大正2年) 明治天皇が太刀を奉納される
1948年(昭和23年) 厳島神社1350年祭が催される
1957年(昭和32年) 厳島神社の社殿の大修繕が執り行われる
1965年(昭和40年) 厳島神社宝物蔵が完成
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