宮島・厳島神社「康頼燈籠」

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宮島・厳島神社「康頼燈籠」

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厳島神社・「康頼燈籠」の読み方

厳島神社の境内には、いくつか読みにくい名前の御祭神や社殿がありますが「康頼燈籠」は「やすよりとうろう」と呼称します。

厳島神社・康頼燈籠の「歴史・由来」

「康頼燈籠」は、現在の宮島島内において最古の燈籠と云われています。

康頼燈籠が厳島神社の境内にある理由は、「鬼界島」に流罪となって配流されていた「平 康頼(たいらのやすより)」が、赦免(しゃめん)されたことによって厳島神社の神々に恩を感じて燈籠を奉納したと伝わっています。

平 康頼が「流罪になった理由と配流先」

1177年安元3年6月、京都・東山鹿ヶ谷(現在の京都市左京区)の山荘にて、平康頼と他に藤原成経と僧侶・俊寛の有力者とで「平家打倒の計画」が話合われていました。

しかし、この会合の内容が密告者によって清盛の耳に入ることになってしまい、結果、康頼を含めた会合の出席者全員が流罪となってしまいます。

その配流先となったのが「薩摩国(現在の鹿児島県)・鬼界ヶ島(きかいがしま)」と言うことです。

しかし実際に「鬼界ヶ島」と言う島は無く、現在では「鹿児島県・薩南諸島」うちの「硫黄島」か「喜界島」のいずれかだと考えられています。

これらの島々には僧侶・俊寛の墓や銅像があることから、どの島が配流先なのかは現代に至っては定かではありません。

しかし2つのうち、「喜界島」の方が有力視されおり、喜界島にある「俊寛の墓の中の遺骨」を調査したところ、なんと!島外の「かなり身分の高い人物の遺骨」であることが確認されたそうです。

尚、康頼らの流罪が赦免になった話にはちょっとしたエピソードがあり、このエピソードこそが「平家物語」に登場する「卒塔婆流 (そとばながし)」と言う有名な話になります。

この卒塔婆流の話は厳島神社が舞台となっており、つまりは「厳島神社と平清盛に由来したエピソード」と言うことになります。

この話の内容については、当サイトの以下の別ページ「厳島神社・卒塔婆石」でご紹介しています。

厳島神社・康頼燈籠の場所

厳島神社・康頼燈籠は厳島神社の境内の「鏡の池」の付近(揚水橋の足元のあたり)にあります。
上述の卒塔婆石と共に並ぶように位置しています。

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