宮島・厳島神社「卒塔婆石」

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宮島・厳島神社「卒塔婆石」

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厳島神社・「卒塔婆石」の読み方

厳島神社の境内には、いくつか読みにくい名前の御祭神や社殿がありますが「卒塔婆石」は「そとうばいし」と呼称します。

厳島神社「卒塔婆石」の歴史・由来

卒塔婆とは、仏塔やお墓の後ろに建てる「木製の木柱(棒)」のことを指します。

1177年安元3年6月、平の姓を賜り平家一門となっていた「平 康頼(たいらのやすより)」は、京都・東山鹿ヶ谷(現在の京都市左京区)の山荘にて平家討伐の企てを行っていましたが、これが主君である平清盛の耳に入り、清盛から流罪の刑を言い渡されてしまいます。

流罪地となった「薩摩国(鹿児島県)・鬼界ヶ島」では本土での日々を思い出し、死人のように只々、むなしく1日を過ごす毎日でした。

そこで何とか本土へ再び帰り咲くために康頼は一計を案じ、卒塔婆を1000本用意します。

その卒塔婆に「残してきた母親へ思い」や「反省を込めた思い」、「配流先での生活のこと」を和歌にして卒塔婆1本1本に書き連ねました。

そのうちの1本がなんと!厳島神社境内の鏡の池の中に流れ着き、その卒塔婆の内容が清盛が座する都へ伝えられることになります。

その内容を知った清盛は康頼を無罪放免にして帰京を許すのです。

尚、この時の和歌は卒塔婆に「二首(2つ)」書かれており、後世では「康頼・百人一首」としても語り継がれており、流れ着いたとされる卒塔婆の和歌は以下のような内容になります。

「薩摩潟おきの小島に我ありと親にはつげよ八重の潮風」

訳:薩摩の沖合の小島に私がいると親に告げよ。いくつも容姿を変えながら進む潮風よ。

「思ひやれしばしとおもふ旅だにも猶ふるさとは恋しきものを」

訳:思いは馳せる。しばしの間と思った旅でさえ相も変わらず故郷は恋しいものよ。..フッ

厳島神社・卒塔婆石の場所

厳島神社・卒塔婆石は厳島神社の境内の鏡の池の中にあります。
後方には「康頼燈籠」があります。

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  • 宮島・厳島神社「康頼燈籠」
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